ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第09章 段落107 [2016-02-08]


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Through our life on earth we have learned a great deal; how much more we shall learn as we venture into the realms of Cause. We shall know much more beauty than we have known in the world of effects. Our admittance to such knowledge is not difficult - just one step can prove itself the key that will unlock the chambers heretofore unknown to us. "There is nothing," we have been told, "that shall not be revealed." To the vision of the brave in heart no truth can be concealed. One single sacrifice - the releasement of old thought habits, may bring rewards far greater than you have ever dreamed
107 地球上における私達の生活を通じて、私達は多くを学んで来ました。私達が因の領域に足を踏み入れれば、更にどれほど多くを学ぶこととなるでしょう。私達の結果の世界で私達が知って来たよりも更に大きい美しさを知ることになるのです。このような知識に対する私達の入場の権利は難しいものではありません。ただ一歩の踏み込みが、私達にこれまで知られていなかった特別室を開けるカギであったことを明かします。「明かされないものはない」と私達は教えられて来ました。心の勇敢な者の視野には如何なる真理も隠されていることは出来ません。ただ一つの犠牲、古い思考習慣の解放は、貴方が夢見たこと以上に大きな報酬をもたらすことでしょう。



【解説】
本項では著者は私達にこれからは何を学ぶべきかについて語っています。即ち、私達が学んで行くべきは既存の物質世界だけではなく、”因”の世界とも言うべきものだという訳です。
そこに至る道については詳しくは語られていませんが、先ずはこれまでの私達の思考習慣、想念パターンを打破する勇気を持って未知の世界に一歩踏み出せとしています。
しかし、それらの領域に入る為には何らの装置も道具も必要ありません。「生命の科学」等でも述べられているように、私達自身に”因”に気付くことが出来る能力が備わっているからです。これらを仏教では「悟り」という表現でその心境を表現しているものと思われます。
その世界、如何なるものかは私自身未だ掴めてはおりませんが、正座瞑想した仏陀の像のように、因の世界では居ながらにして、三千世界を巡ることも出来るように思われます。映画「2001年宇宙の旅」の後半、主人公がめまぐるしく輝く光の洪水の中を進む自分を発見しますが、それはこうした因の世界をイメージした映像表現であったものと思われます。重要な点はこれら因の世界は常に私達を暖かく迎え入れて呉れるということです。


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