ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第04章 段落053 [2015-11-16]


053 There are myriads of thoughts bombarding man's mind every second; some are personal, some are impersonal, many are beyond the conception of the average sense mind. It is true that each thought that enters man's being impresses itself upon the individual cells of his body but the mortal sense mind as a whole does not become aware of it. Conception while being of Cause does not raise man to the Cause state; it is perception which produces growth in the mortal man. In the average man the thoughts are passing at the approximate rate of 1100 per second. In a highly developed person the thoughts run about one-half million per second. The mortal grows through experience and only that which is perceived consciously can be termed as experience. Awareness is the key to wisdom and the only channel to human thought expansion. Awareness must be combined with action so that intelligence may be expressed. Cosmic Cause incarnates in matter whether the mortal mind of man is conscious of it or not, but through perception of that action the mortal expands in the field of growth. The mortal sense mind, having divided itself from the Whole, must evolve again into the Oneness by perceiving the Cause in effects. In the cosmos everything exists and we, being of the cosmos, have everything within us. If we perceive that which is within us we are able to bring it into manifestation. Through perception we actually "mother" or "father" a thing into growth. The whole science of life is based on these two - through conception and perception are all things brought into being in the world of effects. Conception is responsible for putting Cause into motion and bringing forth action. Conception may take place without any awareness on the part of the intellect but the action which takes place due to conception bring forth a quickening that produces what we know as sensation. Perception is the act of becoming aware of sensation and knowing its source.
053 毎秒、人間の心に衝突して来る何万もの想念があります。あるものは個人的なもの、またあるものは非個人的なものであり、多くは平均的な感覚心の受想を超えています。人間に入り込む各想念は、それ自身を人間の肉体の個々の細胞に印象を刻印することは真実ですが、死すべき感覚心は概して、それに気付くことはありません。因に属する受想は人を因の状態にまで押し上げることはしません。死すべき人間において成長をもたらすのは知覚なのです。平均的な人間では、想念はおよそ毎秒1100個が通過しています。高度に進化した人物においては想念は毎秒50万個も流れます。死すべき人間は体験を通じて成長するもので、意識的に知覚したもののみが体験と呼ぶことが出来るのです。気付きは人間における想念の拡大につながるカギであり、唯一の道です。また、気付きは知性が表現されるよう行動と結び付けられなければなりません。宇宙の因は死すべき人間の心が意識しているいないに係らず、物質に宿っていますが、その活動を知覚することによって死すべき人間は成長の分野で発展するのです。全体から自分自身を分離した死すべき感覚心は結果における因を知覚することによって、再び一体性の中に進化を遂げなければなりません。宇宙の中に全てが存在し、私達もその宇宙に属する以上、私達の中に全てを有しています。もし、私達が自分自身の中にあるものを知覚すれば、私達はそれを創造の現れとしてもたらすことが出来ます。知覚を通じて私達は実際には物事を成長させる「父母」の役割を果たすのです。生命の科学全体はこれらの二つ、受想と知覚に基礎を置いており、それらを通じて、全ての物事が結果の世界にもたらされるのです。受想は因を動かし、行動を推し進める役割を果たしています。受想は知性の側には何らの気付きもないまま生じるかも知れませんが、受想に起因する行動は私達が湧き起こる感情として知っている状態を作り出す衝動をもたらします。知覚はその感情に気付き、源泉を知る行為なのです。


【解説】
本項では「気付き」や「悟り」と呼ばれて来たものが、具体的にはどのようなものであったかを明快に示しています。
それらは毎秒1000個もの想念波動が降り注ぐ中にあって、それらに容易に気付ける体質になること、またそれらの精妙な波動の持つ趣旨を理解し、応用する能力を高めることにあることが分かります。
既に私達はこのようにふんだんなアイデアが絶えず注がれている訳ですが、私達自身そのほとんどに気付かずに過ごしてしまうということです。また仮に受想が出来たとしても、次の段階、肉体の感覚による十分な知覚が出来なければ、具体的な理解は難しいと言うことが出来ます。単に受想を待つのではなく、私達自身が少しでも印象を感知したら、しっかりその印象を知ろうとしその印象に従った行動をとることによって、自らの経験となり記憶に残すことが出来るという訳です。
知覚はこれら印象の発信者の意図に耳を傾け、学びたいという姿勢を意味していると著者は説いています。


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