ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 4章 段落383 [2015-08-18]


383 The four senses, the arbitrary rulers of most lives, should be your servants. Each sense has a will of its own, its own reasoning faculty, and is possessed by its own fears. In many instances, it is the four senses through their condemnation of that which they have not previously experienced, that closes the door to new ideas.
383 ほとんどの人生の専制的な支配者である4つの感覚は、あなたの召使にしなければなりません。各々の感覚はそれ自体の意思を持っており、また、その固有の恐怖にとりつかれています。多くの場合、自らが過去に経験したことがないことを非難することで新しいアイデアに対して扉を閉めるのは、この4つの感覚なのです。



【解説】
確かに私達にとって想念・印象の取り扱いははじめての事柄なのです。これまでは、目や耳、鼻や舌の反応の善し悪しで、外界のもの悉くを私達は判断して来ました。また、そこには長年の経緯から、これら四感覚が全てを取り仕切るようになっており、私達自身をも支配するようになっているのです。
しかし、想念・印象はこれら既存の感覚とは別のルートで知覚される為、最初の内はこれら四感覚が抵抗を示したり、疑いを持ったりすることになります。私達に対して、そのような根拠もあいまいなものに振り回されるなと批判することも多いのです。
実は、私達はこの想念・印象の知覚に関して何も無い状況から開拓して行こうとしている訳ではありません。エデンの園の寓話のように原始の創造の時代、私達は想念・印象を介して創造主と向き合って生活していたように思われます。日本神道で言えば、神人一体、万物に神宿るの世界です。しかし、その後、感覚が増長し、印象を必要としない生き方に変わってしまったように思われます。目に見えない世界より、目に見える結果を重視した生活です。
しかし、その結果、私達は印象の世界を忘れてしまったのです。このテレパシー講座は、私達を創造直後の状況に戻し、他の生きもの達が享受している輝かく日々に復帰させるものなのです。


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