ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 2章 段落058 [2014-04-09]

058 Pursuing this train of thought, I made a vital discovery. If one asks an expectant mother whether she can foretell when the little form within her is about to turn, she will answer, "No " She cannot direct the movement of the baby, and the knowledge it has turned comes to her as an alertness, or feeling, after the action has taken place. Therefore, it is the intelligent force which transmits the information to the mother through her sense we call feeling.

058 この一連の思考を追って行く中で私はきわめて重要な発見をしました。もし人が妊婦に彼女の体内の小さな胎児が何時向きを変えるか予告することが出来るかを聞いても、妊婦は「いいえ」と答えるだろうと言うことです。彼女は赤ちゃんの動きを指図することは出来ませんし、胎児が向きを変えたとする知見は一つの警戒、或いは感じとして、その行動が起ってから彼女にやって来るのです。従って母親に私達がフィーリングと呼ぶ彼女の感覚を通じて情報を伝えるのはその英知ある力と言うことになります。
【解説】 ここでは著者は極めて重要な発見をしたと述べている訳ですが、私達は何故本項の内容が重要なのかについて深く考えて見る必要があります。 即ち、妊娠中の母親が自身の体内の胎児について、そのようにしてその動きを知ることになるかについてです。この場合、本文にあるように母親の心(感覚)には何ら知覚能力は無いということになります。目や耳その他の既存の感覚では把握出来ない訳です。しかし、フィーリング(感じ)を通じて、胎児の動きが伝達され、母親はその動きを知るということです。 即ち、私達は自身の体内で起こっていることを知る為には、このルートを用いる必要があることになります。印象を通じて私達のフィーリング(感じ)に伝えられている情報がそれであり、身体内に起こっているその他諸々の活動も同様なルートで私達に伝えられるという訳です。

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