ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課 段落419 [2013-10-17]

419 Many times when I was teaching in the early thirties a student would be sick and would not be at the class, yet on the following week when they returned he would report that he had not missed the class. For I was at the bedside giving the instructions yet I was not missed in the classroom. I was there before the students giving instruction through my mind and body while at the same time my consciousness was at the bedside of the one who was sick. It is like using two speakers with one microphone. Consciously I was conveying to the mind in my body that which was given to the students. In one place I was a solid form and in the other a thought form.

419 1930年代の初期、私が教えていた時に何度となく一人の生徒が病気になりクラスに出席することが出来ないことがありました。しかしそれでも、翌週にある次の授業にはその生徒は決まって自分は授業を受けられなかったことはないと報告するのでした。その理由は私は彼のベッドの脇に居て、教えを授けていたからというのですが、私はクラスに出席しなかった訳ではありませんでした。私は当時は生徒達の前で心と肉体を通じて教えを授けておりましたが、同時に私の意識は病気の一人のベッドの脇に身を置いていたのです。それはマイク1つで2つのスピーカーを使っているのに似ています。意識的に私は私の肉体の中にある心に生徒達に教える事柄を伝えておりました。一つの場所では私は固体として形あるものでしたが、他の場所では想念の形態であったのです。





【解説】

もちろん本事例の場合、当該の生徒は相当の感受性を持った人物であり、アダムスキー氏の意識を知覚することが出来たという訳です。

意識の及ぶ範囲には際限が無く、伝えたいと思う意志があれば、距離に関係なく、その者に内容を伝えるということでしょう。もちろん伝える対象にも制限は無いものと思われます。

そういう意味では万人に慈悲を授ける仏や慈しみを与える聖母等、従来の信仰の対象は、そうした宇宙におわす大いなる師からの救いのメッセージを授かりたいという人々の願いを表現したものかと思われます。


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