ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課 段落379 [2013-08-19]

379 Impressions will come in some cases like a still small voice and you will swear that someone is talking to you, but it is your consciousness explaining things in words you are accustomed to. And sometimes with impressions that you cannot find words to express. But when pictures are impressed upon you, especially in color, they are focused by the consciousness on the screen of your mind which is located in your forehead. At least this has been my experience. Perhaps this is the reason for those who do not understand referring to this as the third eye, or all seeing eye. In Buddha statues there is a jewel in the forehead, signifying extended sight, and it forms a triangle between physical sight and itself. Jesus called this, single visioned and single minded. And when he said the renewing of the mind, he meant exactly what we are trying to do here by associating the mind with the consciousness to form a single unit. Where divisions between the two cease to exist. For then man becomes a total man.

379 印象はある場合にはひそかな小さい声としてやって来るでしょうし、貴方は確かに誰かが貴方に話し掛けていると言うでしょうが、それは貴方の意識が貴方が慣れ親しんだ言葉によって物事を説明しているのです。またある時は貴方が言葉で表せないような印象としてもたらされます。しかし、映像が貴方にもたらされる時、特にそれがカラーである場合は、それらは貴方の額の場所に位置する貴方の心のスクリーンに意識によって投影されているのです。少なくても、これは私の経験です。おそらく、これは人々が第三の目、或いは全てを見る目として引用することを理解しない理由です。仏像には、額の中に一つの宝石が埋め込まれ、拡張した視覚を象徴しており、それは肉体の視覚とそれ自体で三角形を形成しています。イエスはこれを一つになった目、一つになった心と呼んだのです。そしてイエスが心の復興と言った時、彼はまさしく私達がここで心を意識に親しませ、一つの単位を形成するよう努力していることを意味していたのです。そこでは、両者の間の分裂は消滅します。それ以後、人は完全なる人間になるのです。





【解説】

印象は確かに精妙なものが多く、私達自身捉えられないものも多いのですが、少なくてもそれらの示唆する通りに行動しようとする時、極めて良い結果がもたらされることは、これまでの経験上からも確かなことです。

本項では更に進んで、音声によるささやきや映像として表現される段階のものについても言及されています。特に仏像については仏様の額の宝石の意味やイエスの言葉について説かれていますが、その内容は著者が古今東西のあらゆる宗教に関する真実を熟知していることを示すものです。

大切なことは、この日々ひそかに贈られる意識からの印象を大切に受け取り、自らの行動に役立てることであり、肉体の全てをその示す方向に動員し、その示唆するビジョンを実現させることにあると言っても良いでしょう。意識とのパイプが強まれば、その与えられる情報量もまた増えるに違いありません。


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