ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第08課 段落301 [2013-04-23]

301 If you cannot do this from nature's point of view, we have another method by which we can do better than we have in the past. As we are supposed to be Christians -let us use the teachings of Jesus and make them a part of our daily life. Or which ever Messiah you are following - practice their teachings so that they become habitual with you. Just as your associate's habits become a part of you. If you will do this you will be amazed at the changes in your life as the many unpleasant things are replaced by understanding. But you must make your sense mind determined to follow the guidance of The All-knowing Consciousness. Then you can say - "I the sense mind do nothing, but the consciousness does all things through me." If we can accomplish this, which we must do, the newness of life will manifest through us. And old age will be replaced by youth. And sickness will be replaced by health. And we will be on the way in making the Earth a Heaven.

301 もし貴方が自然に対する見解の違いからこのことが出来ない時は、これまで行って来た以上に良く出来るもう一つの方法があります。私達はクリスチャンと想定した場合、イエスの教えを用いて私達の日々の生活の一部にするのです。或いは如何なる救世主に貴方が従っているかを問わず、彼ら救世主の教えをそれらが貴方の習慣となる程に実践することです。貴方の仲間の癖が貴方の一部となるようにです。もし貴方がこのことを行うなら、貴方は自分の生活に起る変化に驚くことでしょう。多くの不愉快な事柄が理解に置き換わるからです。しかし、貴方は貴方の感覚心をその全智の意識の導きに従うことを決意させなければなりません。そうすれば、貴方はこう言うことができます。「私、感覚心が何をするのではない。意識が私を通じて全てのことを為さるのだ」と。もし、私達がこれを達成できれば、またそうすべきなのですが、生命の新しさは私達を通じて現れることでしょう。そして老齢は若さに置き換わることでしょう。そして病は健康に置き換わります。そして私達はこの地球を一つの天国に作り上げる道筋にあることでしょう。





【解説】

親しむ対象に私達は同化、一体化し、やがては自らもそのものに類似するというものです。丁度、音叉同士の共鳴、ラジオ受信機と同じように同調するということが一つの真理であるという訳です。

従って、敬愛する聖人達に心を沿わせていれば、自らもそのような要素を持つに至るという訳です。もちろん、その逆も真理なので、日常生活において私達がどのような対象と接しているかについても大事な所です。

以前、何かのテレビ番組で、高野山では弘法大師が今も生き続けているかのように毎日の食事を運び、仕えているという話を伝えておりました。敬愛する師に同化し、師の教えの真理に近づきたいという気持の表れだと思われます。また、同様なことは聖母マリアの像についても言えるものと思われます。先日、旅行先でファチマに現れたという聖母の像が教会にありましたが、それも人々がその像の前に立つ時、かつて聖母と会ったファチマの子供達と同様な心境になることを願って建立されたものと思われます。

私達、地球人には太古の昔から、他惑星から数多くの聖人が訪れ、教えを説いている訳で、それらの教えは当然ながら、共通した内容を持っています。真理は一つであり、訪れた土地や時代により、語る言葉が異なるだけのように思います。本講座は決して宗教を取り扱うものではなく、各自の敬愛する師について言及することはありません。ただ、私達が日頃、それらの教えについて少しずつでも実行実践して自ら、その結果を分析することを求めているのです。


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