264 While we have used two individuals in close association with each other, this can take place where many are represented by one when using the same pattern. This shows that the consciousness whom we call God, is the all inclusive. And as two people are able to become as one through association and even resemble each other, just so, an individual can become one with, and resemble God, when he thinks in terms of God instead of the ego. Yet he retains his individuality, the difference is that his sense mind has blended with conscious consciousness that we call God. The sense mind is able to perform its normal duty as it did in the past but it is aware of the consciousness that gives it power and intelligence to act wisely in the world of effects. The mind will then feel as Jesus felt when He said, I of Myself do nothing, but the Father that worketh through Me does all of the work. This is cosmic consciousness.
264 私達は互いに親密な二人を例にしていましたが、このことは多人数が同じパターンを使用する場合についても一人に代表されるところに起り得ます。これは私達が神と呼ぶ意識は全てを包含することを意味しています。そして二人の人間が交際を通じて一体となり、互いに似て来るまでになるように、丁度そのように各自も自我への代わりに神について考えていれば神と一体になり、神に似て来るのです。しかしそれでもなお、自分の個性を保持しており、違いは自分の感覚心が私達が神と呼ぶ意識的な意識と融合しているということです。感覚心はこれまで同様、通常の任務を実行できますが、その者に結果の世界で賢く行動する為のパワーと知性を与える意識について気付いています。心はその後イエスがこう言った時のように感じることでしょう。私自身は何も成していない、父が私を通じて全ての仕事を成したもうのだ。これが意識的な意識です。
【解説】
前項から述べられているように、私達はどのように生活したら良いのかを示しているのが本項です。
即ち、日々「意識」を意識すること、創造主を意識して生きて行くことにより、私達は自然に創造主と近い関係になれるということです。その場合、何かの「行(ギョウ)」によって一時的に特異な状況になった際に掴んだだけでは心自体が理解した訳ではない為、長続きせず、結局は進歩はないのですが、少しずつ日常的に心が理解しながら進む場合には、二度と後戻りしないしっかりした進化の礎を築くことが出来ます。
想いは通じる訳で、「意識」を意識出来るよう日常のあらゆる場面で意識からの印象を探査するよう心を訓練することによって、「意識」から来る新鮮なる印象、アイデアを得ることが出来ます。自然の中の様々な生きもの達との交流や大自然が織りなす悠久の営みの姿を垣間見る中で、この地球の歩みについてもより深く実感出来るものと思われます。
そのような心の状態が行き着く先には、イエスが示されたように、自らの行動が創造主の意図、意識の意図通りになっているという訳です。
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