ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第07課 段落259 [2013-02-12]

259 To do this one must make the sense mind trust consciousness like trusting God. And this in turn calls for faith, oftimes called blind faith. To clarify blind faith a little further, we have eyes with which to see but they do not see any more than a window pane can see what is seen through it. It is you who sees through the window, so it is the consciousness of you that sees through the eyes. For when you become unconscious the sense of sight is still there but you no longer can see. The other senses follow the same pattern. So one should realize the importance of conscious seeing, or sense mind cooperation with consciousness if he is to have a cosmic memory of life. For then he can recognize himself through eternity from the pages of memory. This is an important phase if individual life if life eternal is to be earned. And that is what Jesus meant when He said, he who loses his life shall find life eternal.

259 これを成す為には、人は感覚の心を、神を信頼するように、意識を信頼させなければなりません。そしてこのことは次には信頼、即ち、しばしば盲目的信頼と呼ばれるものを必要とします。盲目的信頼というものを少しより明確にする為に見るのに用いる目について述べますが、目は自分が見ているものは窓枠がそれ自身を通じて見ている以上のものを見ている訳ではないのです。窓を通して見ているのは貴方であり、それ故、目を通じて見ているのは貴方の意識なのです。何故なら、貴方が無意識になってしまえば、視覚感覚はそこに未だあっても、貴方はもはや見ることはできません。他の感覚も同じパターンを辿ります。ですから、もし人生における宇宙的記憶を持とうとするなら、人は意識的に見ること、感覚の心が意識と協力することの重要性を理解すべきなのです。何故なら、そうすることで人は記憶のページの中から永遠を通じて自分自身を思い出すことが出来るからです。これは各自の人生が永遠の生命を得ようとするなら、重要な段階となります。また、これはイエスが自分の命を失うものは永遠の命を見い出すだろうと言った時にイエスが意味していたことです。





【解説】

本項はある意味、私達にとって大事なポイントを著者が示しているように思います。

その第一は、「意識」の存在についてです。ここではまず、「意識」という存在を信じることから、その存在に気付くようになれるということが述べられています。信頼が第一歩という訳で、信頼(faith)は信仰という意味でもあります。

また第二は、私達自身と心の関係です。ここでは心を家の窓のような存在であるとしています。私達の本体は家の中、あるいは因の中に居る訳ですが、窓はあくまで外界の世界を中に住む者に正しく伝える意義があります。もちろん窓自体が余計な意見を付け加えるべきではありません。その窓自体は「見る能力」は無く、外の景色を内部に伝える為の役割であるのです。

私達はこのようなパターンを自分の中に当てはめて見て、真実の姿に気づく必要があるということです。


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