ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第07課 段落252 [2013-01-31]

252 To illustrate this let us use a man who has lost the memory of who he is. We have read of these cases. Some are well to do, hold good positions and have a family. Yet when this man loses the memory of his identity he re-establishes life in another part of the country, marries, has a family and works as a common laborer. If recognized by a former acquaintance he denies that he is the party for he remembers nothing pertaining to his previous life. This means that the first personality is dead to the mind while the body still maintains the identity.

252 このことを例示する為、自身が誰であるかという記憶を失った人を用いることにしましょう。私達はこのような事例を読んだことがあります。ある人は物事がうまく行って、良い地位を得て、家族も持っていました。しかし、この人が自身の正体の記憶を失った後は、他の地方で生活を再建し、結婚して家族を持ち、通常の労働者として働きます。以前の知人に発見されても、彼自身、以前の生活に関することを何も思い出せない為、いっしょにいたことを否定します。このことは心にとって最初の人格性は死んでいる一方、その肉体は依然としてその正体を保持していることを意味します。





【解説】

本事例は当時米国であった実例であろうと考えます。一見、希なケースのように思えますが、こと生まれ変わりに当たっては、私達は全く本事例の通りの生活を送っていることが分かります。

即ち、過去に生き、学んだ事柄を活かすことなく、また最初から学び始める必要がある訳です。この原因は記憶にあります。過去生の記憶が十分蓄えられておらず、漫然と生活して来た結果、記憶が蓄積出来なかったのが原因です。折角の知識・経験が永続する記憶として保持されなかった訳です。

どの部分が永続する宇宙的記憶となるのかについては、明言出来ませんが、私自身の体験からはどうやら物事に新鮮さを感じる年少期の記憶は意外に鮮明に残るものが多いようです。反面、新しい事柄に関心を持てなくなった老人の場合、極最近のことが思い出せない等、記憶力低下が目立つようになるように思います。

各自、宇宙的記憶を大切にする中で、これら一般的な記憶力低下も抑えられるように思いますし、意識と融合する中で得た印象経験のみが永続する記憶になるのではないかと考えます。


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