ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第05課 段落206 [2012-11-08]

206 In the case of an uncorrected mistake against another, a mystery is created that may never be solved. And if it is done after a lapse of time the feeling will never be the same again. So there is a loss through the neglect of correction. And yet the correction even under these conditions is very important in order to carry on. For somewhere along the line the lost words or impressions will repeat themselves, even if for another reason, and he who has the knowledge can use these words to fill in the gap. It is no different than a window pane that will fit into a number of places.

206 ひとつの修正されない過ちに対して更に修正されない過ちが起る場合には、決して解決しない神秘が造り出されてしまいます。そしてもし、時間経過の後に為される場合には、その感じはもはや同じにはなりません。ですから修正を無視したことで損失が生まれるのです。しかもこれらの状況の中であっても修正はめげずに続けて行く為にはとても重要です。何故なら、その線に沿った何処かでその失った言葉や印象類は、他の理由からであっても再現するでしょうし、その知識をもつ者はそのすき間を埋める為これらの言葉を用いることができるからです。それは数多くの場所に当てはまる窓ガラスと何ら変わるものではありません。





【解説】

印象への取扱いの誤りが何度も続くことの問題について本項は述べています。

未熟な私達は仮に意識からの印象が来ても、心が理解しない為に正しい対応が出来ないことが多い訳です。しかし、印象が来たということは、本人とその印象の経路が一時的にせよ繋がったことを意味するように思います。その結果、本来その経路を維持できれば様々な知識や情報が流れ込んで来る筈ですが、本人の心が柔軟な対応が出来ない為に、途中で遮断し、その経路を意図的に外してしまう結果、本当のイメージが掴めないまま、終了し、訳の分からない神秘が生まれるとしています。

私達の日常は慌しく、折角の印象も日常の雑事に紛れてしまうと同様な事態になる可能性もあります。しかし、印象は私達の生活を豊かにして呉れますし、本人の必要な時、必要な援助、助言をして呉れる点で、先ず第一に大切にしたいものです。そしてその援助の手はいつも優しく差し伸べられており、私達はひたすらその声に耳を澄ますことが大切なポイントです。


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