ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第05課 段落205 [2012-11-07]

205 If you are not sure whether a mistake has been made or not, make a careful analysis of the effect. If you feel that you have, the way to make the correction will be shown. And if the action is against another human being, become that person, and you will know what is to be done without loss of time. For every mistake cuts one off from cosmic impressions and creates a condition like a vacuum or gap between two points. It is no different than being disconnected while talking on the telephone. If this is caused by a break in the line, and the one making the call is unaware of the break, he continues to talk but the receiver is not getting the impressions. And he will not until the correction is made. So the intervening conversation is lost to the receiver, and the gap is filled with confusion and wondering what was to have been said. And in this way, what would have been received is distorted.

205 もし貴方が過ちをしたかどうか不確かな場合は、結果について注意深い分析をすることです。もし過ちを犯したと感じるなら、修正を行う方法が示されるでしょう。そしてその行為が他の人間に対するものなら、その人間になって見なさい。そうすれば時間の無駄なく何を為すべきかが分かるでしょう。何故なら、あらゆる過ちは宇宙的印象類から本人を切り離してしまい、2点間に真空或いはすき間のような状況を造り上げます。それは電話で話をしている間に電話を切られた時の状態と違いはありません。もしこの状態が通話中に起り、電話を掛けている一方がその断絶に気がつかない場合は、彼は話しを続けますが、受信者はその印象を受取っていません。線の復旧が行われるまで彼は受信できないままです。その為、受信者にとってその間の会話内容が失われ、そのすき間は混乱とその間に何が話されたかについての好奇心で埋められることになります。そしてこのように、受信された筈の事柄が歪められるのです。





【解説】

印象への理解が合っているか否かは、結果を分析すれば容易に分かるという訳です。また、もし間違っていれば解決法も示されるとしています。

意識による教えは、このように全て正解を伝えてくれており、そもそもが真理の法則である訳で、私達は先ずこの点を明確にして臨む必要があります。

しかし、ミスを犯したといって、急に印象の流れを取り止めることは良くないと本項では説いています。せっかく繋がった意識とのパイプですし、その印象の出所とはパイプを継続しておく必要があります。今回はたまたま解釈を誤っただけで、次回はしっかり応用できると思うからです。

このような時、大事なのは、どのような心の持ち方をしていて、そのようなアイデアが湧いたのかを自覚することと、それらの印象の贈り主に改めて感謝する気持ちではないかと考えています。


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