ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第04課 段落178 [2012-09-27]

178 For if we desire to be as our creator we must face all phases of life without being disturbed. The Creator faces his creation without discrimination. For should he like one and dislike another he would be dividing himself, and thus do no better than man. But all phases of creation are loved by its creator for its purpose is known. It is a human trait to discriminate and through this many hurts are received because the ego mind separates itself from the whole.

178 もし私達が創造主のようになりたいと望むなら、私達は心を乱されることなく生命のあらゆる側面を直視しなければなりません。創造主は自らの創造物を差別なく直視しています。何故ならもし創造主があるものを好み、他のものを嫌うならば、創造主は自らを切り裂くことになり、人間よりましなことができなくなるからです。しかし創造のあらゆる側面はその目的が知られているが故にその創造主によって愛されています。区別するのは人間の特徴であり、エゴの心が自身を全体から分離してしまう為、この過程を通じて多くの痛みを受けることになります。





【解説】

万物・万象の活動を認めるということかと思われます。よく慈悲という表現がありますが、その意図するところは何も、哀れみのみでなく、全てのもの達を等しく認め、その存在を愛おしむ姿勢があるものと考えます。

一方で私達は何故、このような当たり前とされそうな注意事項が、この場所で述べられているかについて考える必要があるかと思います。

とかく観察力や感受性が高まると、それまで観えて来なかった様々な要素も分かってしまうことになります。観察眼が鋭敏になることで、相手の真意が分かったり、世の中の仕組みが見えてしまったりすることでしょう。

これに対して、一つ一つ非難したり、毛嫌いの気持が湧くことも考えられます。しかし、そのであってはいけないと著者は言及しているのです。仮に現実はそうであっても私達は創造主がじっと見守ることを続けるように、裁きを行うことなく、等しく見守ることが大事だと述べている訳です。私達が好き嫌いを基準に個々の事例を裁くことをすれば、それは再び心に判断を委ねることを意味するからです。

ある意味、問題のルツボと化している地球で、より良い生き方を目指すのは容易ではないわけですが、先ずは全てを現実のもの、創造の低次な姿として受け入れ、次にその進化の為に自分は何をすべきかを考えるということでしょう。


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