ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第02課 段落059 [2012-03-29]

059 In later contacts when I was given the privilege of asking questions, I did. But in each case I had to wait for that privilege to not interfere with what was being given. Many things did not fit into my way of life at the time but I was patient and trusted the ones who were giving me the knowledge. At first it was like a puzzle but at the end when all parts were put together the picture was clear. Had I been impatient and interrupted the individuals who were giving me the information I would have lost the precious jewels and had nothing but confusion. As I became as a child to the instructor, I was given many privileges and I am now living in the Cosmic Kingdom instead of the world that l did before.

059 その後の会見で私が質問の特権を与えられた時、私は質問しました。しかし、どの場合でも私は与えられている事柄を邪魔しないようその特権を待たなくてはなりませんでした。多くのことが当時の私の生活の仕方に合いませんでしたが、私は忍耐強くまた、その知識を授けてくれる人々を信頼しました。最初、それはパズルのようでしたが、ついに全ての部品が繋ぎあわされた時、その絵は明確なものでした。もし、私がせっかちで、その情報を授けてくれる個個人を遮ってしまったら、私は貴重な宝石を失い、また混乱以外何物も得なかったことでしょう。私は教師に対して子供のようになることで、私は多くの恩典を与えられ、今や私はそれまでの世界に代わって宇宙的王国に住んでいます。



【解説】

心の躾けのあり方として、本項はアダムスキー氏自身の実体験を語っています。私達がより高次な進化を遂げた他惑星人に会う時、私達はさまざまなことを聞きたいと思う筈です。しかし、そのような心の好奇心を満たすことと、意義ある知識を得ることとのつながりはないことが多いのです。

同様に、何か奇跡を起こす為に努力することも本来の目的とは言えません。私達はとても限られた理解の範囲内で生きている為、そこから解脱することは容易ではありません。先人である教師の実体験から、乗り越え方を一つ一つ教わってはじめて殻を打ち破ることが出来るということでしょう。

その為には、真実の教えを語る人や因なる源泉を信じて、送られてくるメッセージをしっかり受け止めなければなりません。当初は理解できなくても、何年後かに全体が組み合わされて理解出来るテーマもある訳です。

私達は心を躾ける際、先ず心を素直にさせ、やって来る印象に一切の疑念を挟むことなく素直に受け入れ、その印象が何を意図しているのかを知ろうとすることです。場合によっては、先ずはその印象に従って行動して見てはじめてその印象の意図する所が分かることもある筈です。印象によるメッセージは人から、また因なる創造主から、私達が感受出来る出来ないに関わらず、私達に絶えず寄せられています。


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