ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章 段落181 [2011-09-13]

181 "We have not yet been able to discover the whole greatness of the Ancient Wisdom," we are told. Well that may be true, but I dare say if a few of the ancients suddenly found themselves in one of our big cities today they would stand aghast at the miraculous works of our people. They would probably assume that they had reached some World reserved for especially advanced minds, and after having lived here for a while and trying to adjust themselves to our present understanding would decide that they were not of the elect and must have stumbled into this amazing place by mistake.

181 「私達はまだ古代の知恵の偉大さの全容について発見し得ていないのだ」と私達は告げられて来ました。それは真実かも知れませんが、敢えて言えば古代人の何人かが突如、今日の大都会の一つに身を置いたとすれば、彼らは私達の人々の奇跡的な業に驚嘆して立ち尽くすでしょうと言いたいものです。彼らはおそらく自分達が特に進化した心の持ち主のために用意されていた世界に到着したと思い込みますが、しばらくここで暮らした後に、自分達自身を私達の今日の理解に適合させた後は、彼らは自分達が選ばれたのではなく、誤ってこの驚くべき場所に転がり込んでしまったと判断することでしょう。





【解説】

確かに過去に素晴らしい導師がこの惑星を訪れ、人々に教えをもたらす偉業を成したことでしょう。しかし、それだからといって、古代社会が現代より優れていたとは言えないのです。日本でも遠い古代に憧れを抱く人も多いのですが、それはみやびな王朝文化ややんごとなき貴族階層の一握りの恵まれた人達の生活を憧れているに過ぎません。

社会の隅々にまで目を向ければ、明らかに現代の方が格段に優れていることが分かります。同様に私達が進化した他惑星の一つに連れて行かれたとすれば、同様の驚きに見舞われることも間違いありません。これは地球上の国々に行った場合も類似したギャップを感じることと同様です。

本項の主旨とは少し外れますが、人間というもの、時々は日常と異なる環境に身を置いて見ることも必要に思います。外国で体験した暮らしと現在の自分の生活とを比較して、学ぶことも多いからです。他の進化した惑星人が時折、ひっそりと地球のような惑星を訪問するのも、その理由の一つではないかと考えています。


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