ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第14章 段落161 [2011-08-12]

161 The idea that one must become strenuous in outward action or must display an appearance of great personal effort in order to accomplish outstanding things is a false belief. The person who reaches the greatest heights of accomplishment is he who holds all of his actions in a serene and peaceful state, recognizing the fact that he is not the instigator or projector of intelligence but only the form through which it flows into manifestation; and the more fully the recipient is cleared for action the greater the action will be.

161 人は顕著な物事を達成する為には、外に向かっての行動に奮闘し、或いは大いなる個人的な努力をしている姿を示さなければならないとする考えは誤った信念です。最高位の達成に行き着いた人は、自らの行動を澄んで平安な状態に維持し、自らを英知の扇動者や計画者としてではなく、自分が創造物に流れ込む形あるものでしかないという事実認識をしている者です。そして受容者が行動の為、より完全に空になればなる程、より大いなる行動が起こることになります。





【解説】

いわゆる自らの意志を行なうのではなく、自分は宇宙根源から湧き起こる宇宙的な想念が発現する媒体、即ち、単なるパイプとして宇宙意識に献身することで、真の人間の可能性が発揮されるとしています。

そのためには、自我の主導による無益な努力に身を置く必要はありません。自我による労苦の中で精神まで疲れる必要はないというものです。適時的確に事を行なうには、心を平安かつ鋭敏な状態に保ち、宇宙源泉から来るヒントを感受して無抵抗に対応することが必要となります。創造主は、元来、その子供達には労苦を与えることなどなく、常に楽しく暮らせるよう、配慮されていると思うべきです。

「野のユリは、.....」の一節にあるように、人間以外の生きもの達は皆、各々の生涯を厳しい自然界の中でも謳歌しています。今の時分はセミの声も多く聞こえますが、数年間の穴倉生活の後、地上に出てきたセミ達にとって暑さは元気の源であり、ほんの小さな身体から驚くべき大きな声を発し、生命を精一杯楽しんでいます。自らが宇宙意識の表現者として日常を生きるという点に関しては、セミ達から学ぶことも多いように思います。


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