ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第11章 段落120 [2011-06-15]

120 Thus spoke the Christ, to whom Life had revealed her mysteries. This statement has been made the very foundation of religion, but Nicodemus of old, who asked of the Master, "How shall this be? Can a man enter the second time into his mother's womb?"(John 3:4) is not alone in his ignorance of the second birth.

120 生命がその持つ神秘を明かした相手であるキリストがそのように話されたのです。この声明は宗教の基礎とされていますが、年老いたニコデモは、導師に「どのようにすれば、これが為されるのですか。人は自分の母親の子宮に二度目に入ることが出来るのですか(ヨハネ3:4)」と尋ねましたが、それは彼一人がこの第二の誕生について無知であった訳ではありません。







【解説】

実は2000年経っても「神の王国」、即ち、因の世界についての私達地球人の認識についての進歩は無いのかも知れません。また、私達のように「生命の科学」を学ぶ者も、未だ肝心なポイントを十分には理解せず、環境や結果物に支配された生活を送りがちではないでしょうか。

この最も近い存在である因、宇宙意識の存在を自覚するために、イエスは「再び生まれなければ」と表現されたのです。その意味は「誕生する」という中にあるように思います。私達は最初、この地上に各自、何処の星からか、或いは何処かの地からやって来て生まれ落ちたと考えます。それは第一の誕生ということになります。再びの誕生とはこのような肉体の誕生を意味するのではなく、更に因の世界に生まれ出ることだと思っています。つまり、第一の誕生の場合、生まれ来る赤子は何の抵抗も無く、全てを委ねてこの世界に生まれ出るのであり、その存在の全てをこの世界に委ねるような心境かも知れません。その中でこの世界の一員としての生命が始まる訳です。

それと同様に、「神の王国」、因の世界に生まれることは、何の抵抗もなく身を委ねてその世界が今後、自らを守って呉れることを信じて、その世界の一員としての生活を始めるということかと考えています。赤ちゃんがすやすや眠る光景は、何の心配もなく生まれ落ちた世界を信じ切っている姿を表現するものであり、私達も因の世界の加護と恩寵を頼りとして生きて行くべきことが求められているのだと思います。


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