ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第10章 段落111 [2011-06-02]

111 How often quoted is the expression of the Christ, "If ye have faith as a grain of mustard seed ye shall say to this mountain, remove hence to yonder place, and it shall remove; and nothing shall be impossible to you." (Matthew 17:20) This statement has been used to show how little faith is necessary to bring forth manifestation. Notice, however, that the words are not "faith as great as a grain of mustard seed" but "faith as a grain of mustard seed." Not the quantity of faith but the quality of faith is called to note in this statement. Let us study the consciousness of the mustard seed. Is it ever overcome with fear in regard to its personal existence? What causes it to grow? Is it not the conscious impulse force within it which promotes it into action? The seed knows nothing but this urge within itself which causes it to expand, burst its shell and proceed upward into the light. It does not seek to resist this force of natural growth nor does it wonder if it is right to act in this manner. It acts unquestioningly according to the law or principle of its purpose. It does not look to effects - neither to man, to earth, water, or sun. It expands into a mature bush because the forces within it command it into such growth.

111 これまで何回、キリストのこの表現が引用されたことでしょう。「もし、汝に一粒のカラシ種ほどの信仰があれば、この山に対し、ここからあそこの場所に移れと言えば、その山は移るであろう。貴方に不可能だというものはない。」(マタイ17:20)。この表現は創造作用をもたらすのに、如何に小さな信仰が必要なだけであるかを示すため、用いられて来ました。しかし、それらの言葉は「カラシ種一粒の大きさの信仰」ではなく、「一粒のカラシ種ほどの信仰」としているのです。信仰の量ではなく信仰の質がこの声明の中で求められていることに注意して欲しいのです。カラシの種の意識を研究して見ましょう。それはその個人的な存在に関して恐怖に打ち負かされているということはないのです。何がそれを成長させるのでしょうか。それを行動に突き動かすのはその種の中の意識的衝動ではないでしょうか。種は自分の中にあるこの衝動しか知っておらず、それが膨張し、殻を弾けさせ、光に向かって上方に進み出します。それは成長のこの力に抵抗しようとはせず、またこのように行動することが正しいかどうか迷うことはありません。それは法則あるいはその目的の為の原理に沿って、疑問を持つことなく行動します。それは人間、地面、水や太陽に対する影響を見てはいません。内部の諸々の力がそのような成長を命じる故に、成長した茂みになるのです。





【解説】

言うなれば山をも動かす力が想念にはあるという訳です。このように想念、思い、信仰の念は大きな潜在力があるのですが、本項で著者はその潜在力の大きさを述べているのではありません。もともとイエスが伝えたかった信仰の質について解説しているのです。

今日的に言えばカラシの種一粒の中には、将来のカラシの茂みを構築するに必要な情報と知識があり、種を発芽させ、成長させるに必要な一切の知恵が詰まっていることになります。このDNAをはじめとする情報分子と発芽のOKサインを出す意識体が種を支えていることは私達にも容易に分かります。

しかし、カラシ種と私達自身を比較して分かることは、本文中にも述べられているように、種はその生きる全てを全て自分自身の内側にある英知に依存し、内なる意識の声を聞いているのに対し、私達人間はほとんど全てを自分自身の外側、即ち環境のせいにしていることが揚げられます。社会の情勢、経済条件等、様々な状況が私達の日常生活を支配しており、私達自身、環境の下僕と化しています。

実はこれら環境こそ、前項で言うEffect(結果)の最たるものです。原因となる想念が作り出したものに原因を作った私達自身が支配されている訳です。

これに対し、私達一人一人が内なる存在に対する信頼(Faith)を高め、それを頼りとすることで、本項にあるようにカラシ種と同様な生き方が出来ることになります。山が動くかどうかは別として、驚くほどの結果(Effect)がもたらされることは間違いありません。


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