THE WORD
028 In the beginning there was but the Word: no mortal mind can know the Word in full for it contains all knowledge and all Power, and only that which is Itself the Word can know or understand potentially. But through a mighty action the Word was imaged into primal form; in form so fine that only Cause could know its attributes or view its being. It incarnated through the whole of substance and impregnated all matter with Its presence till in the place of a tremendous void there grew the second or the form-creation.
大いなる言葉
028 原初は大いなる言葉のみがありました。如何なる人の心もその大いなる言葉を完全に知ることは出来ません。何故なら、それは全ての知識と全ての力を含んでいるからであり、大いなる言葉自身がそれを知り、理解し得るからです。しかし、ある壮大な行為を通じて、大いなる言葉は最初の形態に描かれました。それはあまりに繊細で、因のみがその性質を知り、あるいはその存在を観ることが出来ました。物質全ての中にその存在が宿り、そしてついには巨大な空虚の場所に第2の創造、即ち形あるものの創造が生じました。
【解説】
「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。......万物は言葉によって成った。成ったもので言葉によらずに成ったものは何一つなかった」とヨハネ福音書(第1章第1節)にありますが、まさにそれと同様のことを本項では述べられています。これも、一説にアダムスキー氏が使徒ヨハネに近いとされることとも関係があるのかも知れません。
さて、この「言葉」という概念、日本でも人が発する言葉には力が宿ると古来から信じられており、昔から多少の認識はあったように思います。しかし、その本来の意味は更に深く、万物の始原となる創造主の意図に対して表現されているものと考えます。その「言葉」が第一段階の創造として目に見えない、例えば原子レベルの創造があり、次に形あるものへの創造が始まったと本項では解説しています。
万物の中に、そのような力のある要素が宿っていることに私達は感謝し、その恵みを素直に慶ぶべきだと考えます。
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