ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第02章 段落016 [2011-01-04]

016 Most of the world's intolerance is due to the misconception of truth. Men fight to death for their individual concept of it when a little wisdom would show them that they are only a step apart in the same hall of learning, but due to the fact that every individual intelligence has a slightly different degree of understanding, truth to each is slightly different. Intolerance is a mark of ignorance, for a developed intelligence is able to view sequences of action that shows each separate action to be relatively true. And because all sides of a question are understood he is bound by none. This type of intelligence does not condemn those who see only one phase of the whole truth. Instead he will point out the pitfalls or limitations that follow the course of thought that the individual is indulging in.

016 世界の不寛容の大部分は真理への思い違いに起因しています。人々は自分達が同じ学びの会堂で互いに一歩だけ離れていることをわずかな智恵が示す時、自分達各自の概念の為には死に至るまで戦うのです。しかし個々人の知性は理解においてわずかずつ異なるために、各自にとって真理はわずかずつ異なります。不寛容は無知の印(しるし)です。何故なら進化した知性には個別の行為が相対的に真実であることを示す行為のつながりを観ることが出来るからです。そして一つの疑問に関する全ての側面が理解される為、その者は何ものにも囚われることがありません。この種の知性には全体の真理の内、わずか一つの側面のみを見る者を非難することはありません。代わりにその個人がふけっている思考の道程に続く落とし穴や限界を指摘することでしょう。





【解説】

現代の私達日本人には理解にしくく、また経験も少ないかも知れませんが、世界には宗教間の対立問題が現存しています。また、同じ宗教でも宗派が異なることで争いも起こっています。実際の争いの原因は、差別であったり、経済的な利益の独占への反発にもあることでしょう。本来、真理を求める宗教の分野において歴史は多くの殺し合いがあったことを記録しています。それほどにこの地球の私達のレベルは低い訳です。

一方、これに対し、太古からの宗教とも言える土着の自然信仰の多くは、大自然を畏敬し、他の者をも受け入れて来たように思われます。日本の神道やインディアン達の自然観等、大地の中や宇宙に生命の息吹を感じ取る観点の中には、他人と真理を争う要素は入り込むことはないように思います。

意見や見解の相違に対し、その全体における位置づけや生成の経緯を観ることが出来れば、自然とその主張も理解できるということでしょう。結果だけで判断せず、そのよって来たった経緯を知ることで、知性を育むことが出来るとも言っているように思います。


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