ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 4章 段落365 [2010-11-04]

365 True reasoning is the faculty of recognizing sequence, which gives a purpose to life. For instance, when one turns his attention to a certain phase of thought, it is necessary for him to perceive whether he is holding to that particular phase. He should not allow his interest to wander toward, or rather be impressed by, other phases which are of a similar nature. For example, if a person received the idea of constructing a baby carriage, he may hold to the original thought flow until the element of motion is beginning to take shape in the image state; then let his attention wander and allow a thought of a similar type to slip into his mind. When the product is finished, and he stands back proudly to survey his handiwork, he discovers he has put rockers instead of wheels on the carriage. He had followed the original impression perfectly to the point where movement entered. He did not achieve one means of motion-the infant can be lulled to sleep; but he did not accomplish his original plan of making a means of conveyance. The general construction of the two objects is similar; and reasoning, that power of recognizing the sequence of ideas, should have told him he had lost the trend of thought.

365 真の意味の推論は連続したつながりを把握する能力であり、それは生命に目的を与えます。例えば人が自分の注目をある想念の側面に向けた時、その人は自分がその特定の側面をしっかり掴んでいるか把握することが必要です。その人は自らの関心をふらつかせたり、類似した性質のある他の側面から印象を受けたりすべきではないのです。例えば、ある人が乳母車を作ろうというアイデアを受信したとすれば、彼は衝動の要素がイメージ状態として形を形成するまでは元の想念が流れるのを保持しているかも知れません。次には自分の関心を放浪させ、似たタイプの想念が自分の心の中に滑り込むことを許してしまいます。作品が完成した時、そして彼が誇らしげに彼の手作業の作品を吟味する時、彼は車の車輪の代わりに揺り足を付けてしまったことに気付きます。彼は衝動が入って来た時点では元来の印象に完全に従っていました。しかし、彼は運動の手段を達成することは出来ませんでした。赤ん坊は眠ることは出来ますが、運ぶ手段という元来の計画は達成しませんでした。この二つの物の一般的なつくりは同じですので、アイデアの連続したつながりを認識する力のある推論は、その者に想念のつながりを見失っていることを伝えるべきであったのです。



【解説】

この事例を注意深く読んで行くと、最初、主人公は乳母車を作ろうと思い立ちます。その時は赤ちゃんを眠らせながら静かに運べる乳母車をしっかりイメージ出来、その実現に向けて図を書き、材料を集めて制作を始めたものと思われます。

しかし、途中から、それが揺りかごに変わってしまった訳です。乳母車と揺りかごとは似ていますが、その移動機能は大きく異なります。つまり、いつの間にか、当初の衝動が途中から入って来た想念により歪められてしまったと言うことが出来ます。

実は私達の感受性が高まる際、様々な想念を受信するようになるが故に、このような混乱の事例が増えて来ることを著者や注意しているのだと思います。

私自身を含めて、当初は明確な意思(想念)があり、志を立てたけれど、年月が経過するにつれて、関心が移り、遂にはその志を実現出来なかった経験を多くの人もお持ちかと思います。その時の問題の答が、このreasoning(推論)にあると言っているのです。想念のつながり、即ち関連性をチェックして、方向がずれた場合には、それを本人に警告する役割を自分自身の中に育めと言っています。

その為には、最初、受信した想念について単に最初の段階で早合点せず、じっくりその全体像を理解した上で、事を進めるべきということでしょう。ある時は、想念に従って瞬時に動けと言ったり、言い様によっては皆様に混乱を与えるかも知れませんが、この分野の初心者である私達としては、先ずはやって来た印象を大切にして、その意味する所を考えながら、落ち着いた行動をとることが一番ではないかと思われます。


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