ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 3章 段落336 [2010-09-15]

336 True clairvoyance is merely the ability to direct the attention of the real Self without producing a state of concentration, and to relax the sense-mind of the body to the point where it is open and sensitive to all impressions. The recognition of any particular personal feeling will automatically interfere with the incoming vibration. If, at the moment of contact with a specific impression, the recipient allows his interest to dwell upon it impersonally, all knowledge pertaining to that impression will reveal itself; because the facts are related and cannot be separated.

336 真の透視とは集中状態を作り出すことなく真の自我の注目を導き肉体の感覚心を開放的であらゆる印象に鋭敏な所までリラックスさせる能力に過ぎません。如何なる個人的なフィーリングもそれが感知された場合には、自動的に流入する振動を妨げてしまいます。もし、ある特定の印象と接触した瞬間、受信者が自らの関心を非個人的にそこに宿ることを許すなら、その印象に関連する全ての知識が自ずと明らかになるでしょう。何故なら、事実は相互に関連しており、引き離されないからです。





【解説】

何か遠くのことが分ってしまう、いわゆる「透視」能力の実態について解説しています。この場合、透視する場所について何か特別に意識を移行させるようなことではなく、印象に附随して存在する様々な情報に触れることで、遠くで起っていることを知ることが出来るとしています。

ここで注目したいのが、「dwell、宿る、住む」という表現です。つまり何かの印象が入った時、私達はそれを公平に受け入れれば、それが持つ様々な情報を知ることが出来る訳ですが、その際、それがどのような印象を持っているかを知る為には、しばしの間、その印象に付き添って、同調する必要があります。つまりはその印象にどのようなものが含まれているかを知る為には、そこにしばしの間、宿る必要があると言っているのです。

つまりは、やって来る印象に対して、せっかちでもいけませんし、個人的な関心をもってもいけない訳ですが、更にはその印象、つまりその印象を発信した本来の人物の言いたかったこと、表現したかったことをじっと理解しようとする気持が必要な訳です。やって来る微妙かつ小さな声に対して、受け入れ、それに寄り添う程の丁寧な対応を取ることで、得られる知識は大きいものがあると言っているのです。


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