ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落298 [2010-07-16]

298 The human instrument, or mind, may receive thought vibrations corresponding to its own thought-habit; but may be totally oblivious of vibrations of another nature. Thus, we perceive, it is necessary to develop a universal interest if we are to become unlimited telepathic recipients.

298 人体の計器である心は自らの想念習慣に対応した想念振動は感受するかも知れません。しかし、他の性質の振動に関しては全く気に止めないのかも知れません。こうして私達は感知する訳で、もし私達が無限のテレパシー受信者になろうとするなら、宇宙普遍の関心を発達させる必要があります。





【解説】

よく「打てば響く」「一を聞いて十を知る」等の表現がありますが、物事をいち早く想念レベルまで同調し、理解できる状況を指すものと思われます。これに対し「能天気」と称されるように周囲の動向に一切関心無く、もっぱら自分の固有の関心事のみの精神世界に生きる者もいます。過去の地球の荒廃の歴史から見て、他の物事に一切関心を持たず、自分のみの世界に生きることは、地球で生きる者のある種、培って来た生きる術かも知れません。

しかし、これでは進歩はなく、私達はあらゆる生命活動に対し、低レベルから最高レベルまで幅広い感受能力を開発する必要があります。鈍い自分自身をどのようにして開花させて行くのかについて、本項をはじめ様々な箇所で宇宙全体、あらゆるものに関心を持てと言っています。

身の回りの自然、動植物への興味も周囲の人達へのお世話もこの一環の訓練となる筈です。また、心の有り様として身体に入って来る漠然とした印象を何ら解釈を加えることなく、即ち、自分が言語的に理解するしないに関わらず、何かかすかなインスピレーションが来たら、それを大切に取扱い、後になってそれが何を示唆しているのか明かされるのを待つことも大切な気がしています。やって来る印象を大切に取扱うことで感受性も高まるものと思われます。


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