ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部 4章 段落248 [2010-04-28]

248 The more disinterested we become in ourselves as a personal ego, the finer our perception becomes. Cosmic Life, or conscious awareness, is never confined to the body. Our limited mind-the mind of effect-tries to hold all things within the realm of its concrete understanding. But the mind that we know is only a shadow; while Cosmic Cause is Reality expressing. When the individualized mind recognizes its limitations, then wills itself to that which knows its purpose for being, its power becomes unlimited.

248 私達が各個人のエゴとしての私達自身に対して関心が薄れるにつれて、私達の知覚力はより繊細なものになります。宇宙的な生命、あるいは意識の知覚力は私達の肉体に限定されることはありません。私達の限られた心、即ち結果の心は全ての物事をその確固たる理解の領域の中に把握して置こうとします。しかし、私達が知っている心は影でしかなく、宇宙的因が表現されている現実なのです。各自の心が心の限界を認識し、心の存在目的を知るものへ自身を仕向ける時、心のパワーは無限になるのです。





【解説】

「自意識過剰」という表現があります。これは私達の日常生活をよく表わしている言葉です。例えば鏡の前で髪の毛を整えたり、私達は絶えず自分自身の外見がどのようになっているかに気を使っています。また、考える事柄も自分に関連したことが多いものです。

しかし、このように自分自身に私達の関心が向いている限りは、宇宙の因からの印象をキャッチできる筈もありません。元々のアンテナが内向きになっていては、衛星放送が受信できないのと同様です。私達は既に十分、自分自身の事柄に関心を持ち過ぎており、これからは、自分を忘れて宇宙や自然に没入することを学ぶべき段階を迎えているように思います。

本文にあるように、真理が分からないながらも、一つ一つの断片を理解し、把握しようとする姿勢が大切だと思っています。よく真理をジグゾーパズルに例えられますが、最初から心で全てを理解しようとするのではなく、全てを直感的に受け入れた上で、それらが全体として浮かび上がらせるイメージをご自身の中で醸成させることです。その道程の先にやがて大きな全体像が見えて来ることでしょう。短気に成果を望まずに、ひたすら自然や宇宙から学び取ろうとする気持です。次回からは第3部に入ります。


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