ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 4章 段落121 [2009-10-08]

121 To digress for a moment: the space people, understanding that man is Divine Thought motivated by the Divine Breath (for ether is Divine Creation), feel a reverence for all humanity. This is the explanation of the statement in INSIDE THE SPACE SHIPS which has proved so puzzling to people. Practical Earthlings have questioned the philosophy of accepting death for themselves rather than the taking of human life; but the visitors know that when another stands before them, they are in the presence of the Living God.

121 少しの間、本題からそれますが、宇宙人達は人間は聖なる息(エーテルは聖なる創造物である故)によって活性化された聖なる想念であることを理解していますので、人類全てに対して敬意を感じます。これは人々に当惑を与えた「INSIDE THE SPACE SHIPS(空飛ぶ円盤同乗記)」における言及への解説です。現実的な地球人達は人生を迎え入れることよりも死を受け入れる哲学に対し疑問の声を上げています。しかし、訪問者達は他人が自分達の前に立つ時、自分達は生ける神の面前に居ることを知っているのです。





【解説】

地球上の生き物は全て同じ大気を呼吸しています。この大気について、本項ではエーテルと表現されていますが、これは以前(111)述べられたように、想念を伝達できる空間というような意味合いと思われます。私達はともに創造主の想念を呼吸し、身体の中を通している訳で、一刻一刻、それら想念を表現できるという意味で生ける想念の現れと評せられる訳です。

一方、自身の他にも同じ状況が他の者にも起っている訳で、「生きている」ものに対しては、より崇高な尊厳感を抱くことは当然です。つまりは、目の前にいる人に対して、その個人ではなく、因としてその者を生かしている創造主を見ることで、自然と尊敬感が湧くということです。

とかく私達は、死者を祀り、祖先を敬いますが、実はそのことより、目の前の生き物の中に生きた創造主を見つけることが、より大切だということです。同じ空気を呼吸し、同じ星の上に生きる創造物としての親近感を持つことは、宇宙兄妹達の生き方に近付くことでもあります。


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