093 Fully realizing that my next step must be the discipling of my senses and the observation of impressions received by my mind, I decided on a definite plan to follow, a sort of mental ledger. On one side I placed all thoughts received throughout the day that were of a personal nature; and on the other side I recorded the universal thoughts upon which I had acted. At the end of each day I would tally my score to decide whether limiting, personal opinions, or universal insight had governed the day.
093 そのことを完全に理解した後、私の次なるステップは私の諸感覚の鍛練と私の心によって感受された諸印象の観察である筈で、私はある種の精神面の取引記録という追うべき明確なプランを決めました。片方には一日を通じて個人的な性質であった想念の全てを置き、もう一方には私は私が行動した宇宙的な想念を記録しました。毎日の終わりに私は限界がある個人的な意見か、宇宙的な洞察がその日を支配したかを決着する為、得点を集計することとしました。
【解説】
本項はいわゆる日本で「想念観察ノート」と呼ばれていることについての記述です。各感覚から成り立っている私達の感覚の心(Sense Mind、センスマインド)の実態を把握すること、またその観察を通じてその元となる各感覚を鍛練することがこれを通じて達成することが出来るとしています。
実際には感受する想念は時に膨大な数となりますので、一つ一つノートに記載する作業は容易ではないと思われます。私自身は過去に何度か試みましたが、このような記録を付ける作業は途中で頓挫したままになっています。しかし、重要なのは各感覚反応を観察することであり、それによって自分の心の実態が良く分かります。また、良し悪しを断ずることなく、観察を続けることで自然と全体は良い方向にシフトして行くことは、私のささやかな経験からも分かります。
ネパールのチベット仏教の寺院では寺院の最上部の壁に目が描かれているそうです。宇宙を見通すこの目は同時に人々を見て人々の心を観察するかのようです。また、「観世」という言葉もありますが、これも同様に人間の心や行動を観察する仏の姿勢を表わしています。想念の観察には、より良い方向を気付かせ、導く大いなる力を持っているのです。
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