051 My problem then was, how could I open my mind to became aware of this Supreme Intelligence?
051 私にとっての次なる問題は、どうしたら私は自分の心を開いてこの至上なる英知に気付くようになれるかという事でした。
【解説】
私事ながら、最近相次いで父母が亡くなった関係で、このところ休日はもっぱら遺品整理に充てています。最近もある会合でお話しましたが、その中でも写真の整理や処分をする中で、改めて人間の一生について学んだような気がしています。
もとより写真はその時々の人間の表情を記録します。それら写真を年月を追って見るとその人の内面の変遷が良く分かります。子供としてはこうすれば良かった等、反省することも多いのですが、整理する作業の中では、その人の生涯を受け止め、理解することがメインになっています。
さて、地上における形あるものの宿命として、命は有限であることは言を待ちません。その生涯の中で何を学び身に付けたかが、次なる段階の人生に直結する訳で、そのバトンタッチで引き継がれるものは、いわゆる知識ではなく、その人が心底理解し体得した、いわば身に付けた理解力だと考えています。本項で言う、至上英知を知覚する感性等は、この最も大事なところです。その理解力を身に付けられるかどうかは、やがて各自に迫って来る生涯終焉の時、本人に大きな影響を及ぼすようになります。つまり、その時までに多少なりとも身に付けられれば、老いても生き生き暮らせるでしょうが、学習の機会を失ったままの場合には、その逆の状況となり得ます。
そもそも私達がUFO問題やアダムスキー哲学を何の目的で学んで来たのかを振り返る時、進化した他惑星人の文明を修得したいという強い思いがあった筈です。その他惑星人の具体的な指導の言葉が、この至上英知に気付くことの重要性を指摘しているのです。「朝に道を聞けば夕べに死すとも可なり」とは孔子の言葉とされています。「人として真の生き方を悟ることができたら、たとえその日の内に死ぬようなことになっても悔いはない」という意味とされ、解説(http://www.nihonjiten.com/data/43.html)によれば、真理や道徳の尊さ、それを学ぶことの困難さを説いた言葉とされています。本項の課題を言い得た言葉であり、孔子(BC552〜BC479)はこのことを十分理解されていたものと思われます。
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