ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 2章 段落037 [2009-06-02]

037 My gaze slowly traveled from wonder to wonder until it rested on the grass at my feet. Here, too, was the miracle of creation. As I stooped to study the slender, green blade, I realized humbly that no man on earth could create it. Nature alone had germinated the seed, guided the spear through the hard crust of the soil to the light of the sun, and brought it to full maturity.

037 私の注目は驚きから驚きへと移り、遂には足下の草に止まりました。ここにもまた、創造の奇跡がありました。私は屈んで細めの緑の葉を調べた結果、地球の誰一人としてこれを造り出すことは出来ないことを率直に自覚した次第です。自然が只独り、その種を発芽させ、幼芽を硬い土の塊の中で、太陽の光に導き、完全な成熟まで育てたのです。





【解説】

優れた芸術品は確かに見る者を引き付けます。古来から伝わる仏像や絵画は変わることのない感動を各時代の人々に与え続けています。確かにこれらの芸術作品は人が造り上げたもので、創造主の子供としての人間の素養を示すものと言えます。また、バードカービング等の例を見ても分かるように、努力すれば創造物の外観を写し取ることは可能です。

しかし、これらは対象物の外観を似せたものに他なりません。創造物そのものは人は造り上げることは出来ないのです。生命そのものを人は造り上げることは出来ません。一方、昨今、地球人は遺伝子操作の技術を利用し始めました。それは創造の摂理を利用する手法であり、意のままに神をもあやつろうとする人間の傲慢さの現れでもあります。

そのようなこと手を染める前に、私達がまずしなければならないことは、自分達の命、日々の生活を支えている自然の産物に気付くことです。毎朝食べるサラダや御飯、味噌汁等、食品の全てはこうした各生命体からもたらされたものであり、それらの存在無くしては、私達は生きて行くことは出来ません。一つ一つの生命が単独で生きているのではなく、相互に助け合い、互いに奉仕しながら、はじめて全体としての生命が成立するということです。その最も基本的な部分を支えているのが、本項で言う植物の世界です。


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