ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第12課 段落432 [2009-02-03]

432 As stated earlier in the course you have a right to make analysis for the purpose of understanding, but not with criticism or belittling. This phase seems so close to the line of analysis that sometimes what we say is taken for criticism or judgment. But your motive is your guard against making this mistake. If your motive is noble with the purpose of understanding you need not worry what the other person may say. And if you make a mistake in analysis acknowledge it. This will prove that your purpose was noble.

432 本講座の初期に述べたように、貴方は批判やけなす態度でなく、理解する目的の為に分析する権利を持っています。この側面は私達が批判や判定と見なされる状況と時として大変近い延長上にあるように見えてしまいます。しかし、貴方の動機はこの過ちを犯すことに対する守り手になります。もし貴方の動機が理解する目的という高貴なものであるなら、他人がどのように言おうとも心配する必要はありません。また、貴方が過ちを犯したならば、それを認めることです。これにより貴方の目的が高貴なものであることが証明されることでしょう。





【解説】

現象の奥にある原理や仕組みを知る為には、先ずは現象自体を注意深く観察する必要があります。これら観察や分析を通じてのみ、私達は生命について学ぶことが出来る訳です。

対象は自然界の様々なもので良いのですが、その最も重要な研究対象は他ならぬ自分自身ではなかろうかと私自身は考えています。日々の環境の諸変化に対する応答や心が取り込んだ想念による肉体の影響、更には関係する他者への影響等、外面から内面に至る様々な影響について知りうる最も身近な研究対象が私自身です。また、この場合はどんなに綿密に観察しても他人に迷惑をかけることはありません。

他方、分析を行う過程で、実は問題自体が解消することも多々あります。つまり、自分は何で悩んでいるかについて分析を進めて行くと、その根本原因が分った瞬間、問題は解消してしまうからです。痛みについても同様で、自身の身体のどの部位が痛みを訴えているか、ゆっくり自分の意識を身体内に浸透させ、各細胞の訴えを聴いて回り、その訴えを受け止めることで痛みが消えてしまうことが多いことは、私の体験上、分っています。

良し悪しのレベルでなく、暖かくその実状について話しを聴くこと、それに対して冷静に分析し、その結果を見せることは、現代のカウンセリング手法と似ている気がします。


第12課 段落431 [2009-02-02] <<  |  >> 第12課 段落433 [2009-02-04]