425 In other words the Cosmic Mother and the Cosmic Father never wean their creation. When the mind does not understand this process it has a tendency to label the effects as the mystics have done. Let me give you an example of how the mind labels things it does not understand. For this we can use the experience of Jesus on the Mount of Transfiguration. His mind at that time was entranced by consciousness for he had given his mental will over to the will of consciousness as he became a listener and observer. And when he did this his face changed to represent the many individual forms through which his mind and consciousness had expressed before and he was fully aware of what was going on. And the disciples that were watching him observed the many changes of facial expressions and told him that to them he had appeared as Moses, etc. His answer to them was, "My life is the life of the many." In other words he had lived all of those stages of life and the consciousness reviewed the stages on the screen of his mind, thus bringing his mental life up to the present stage while the others observed.
425 別の言葉で言えば、宇宙の母と宇宙の父は自分達の創造物を決して乳離れさせることは無いということです。この過程を心が理解しない時、心は神秘主義者達がこれまでして来たようにその結果に偏見のラベルを貼ろうとする傾向になります。ここで心が自分が理解しない事柄に対して如何にラベルを貼ろうとするかの例をお示ししましょう。この目的の為、変容の丘におけるイエスの体験を例に用いることが出来ます。この時、イエスの心は意識によって忘我の状態にありました。イエス自らの心の意志を意識の意志の上に捧げた為、聴く者、観察する者となった為です。そしてイエスがこのことを行う時、その顔はイエスの心と意識が以前表現した多くの個人の顔かたちを再現しはじめたのですが、イエスは何が起っているのかを完璧に気付いていました。そしてイエスを見守っていた弟子達はイエスの表情が多くの変化を起こすのを観察し、イエスにイエスがモーゼやその他のように見えたと話しました。彼らに対するイエスの答えは「私の生涯は多くの生命からなっている」でした。別の言葉で言えば、彼はこれら全ての生涯の各段階を生きて来ており、意識がイエスの心のスクリーンにこれらの段階を回想させ、今日に至るまでのイエスの心の生涯を引き寄せ、それを他の者が見たということです。
【解説】
安易に神の恩寵という言葉を使いたくないのですが、本項では創造主や創造物を決して手放すことはなく、永遠の歳月を通して、支えて下さることを述べています。エゴは独立、一人立ち出来ると主張するかも知れませんが、その両親はいつまでもわが子を見守っているのです。
本文ではイエスがいわゆる変容の丘で表わした奇跡について述べています。イエスが過去にどのような人間として生きて来たか、過去の記憶を甦らせると同時に、その時の表情を肉体の細胞が再現したということです。このようにアダムスキー氏は聖書の内容について様々な所で具体的な記述を行っています。その理由は一説に、アダムスキー氏がイエスの12使徒の一人、ヨハネであったとかつて言われたことがあります。その真偽は確かめようもありませんが、アダムスキー氏は自らイエスの時代に遡る過去世からの記憶を持っていたものと思います。イエスとのつながりの中で、これらの記憶はアダムスキー氏自身が自分の眼で見たことをここで表現していることに留意したいものです。
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