ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課 段落372 [2008-10-14]

372 Could this have all taken place had it not have been for the consciousness of man as his senses were concerned only with themselves? But this consciousness, the invisible part of man, urges the factual man to explore more and more into the cause of form life. As the factual or sense man had disassociated himself from his Cause counterpart the instruments were necessary to bring the invisible back into focus that he might realize that he is only a speck in the Cosmos, but an important one. That his duty is to know about that which is in the Cosmos. And since the consciousness urged the mind to venture into space with instruments man continues to got more and more knowledge about space which has never been known before in this civilization.

372 自分の感覚が自分自身のみに向けられている等、もし人間の意識が作用していなかったとしたら、これらはすべて起っていたでしょうか?ところがこの意識という存在、人間の内の目に見えない部分が現実主義者を形有る生命の因の中、奥深くに探検せよと促しているのです。現実主義者、あるいは感覚人は自分自身を自らの因の相手役から切り離してしまった為、自分が大宇宙の中のしみでしか無く、しかし重要な一つであることを理解するよう目に見えない背景を鮮明にする為に装置が必要になったのです。人間の義務は大宇宙の中に何があるかを知ることです。また意識は装置を携えて心に宇宙を冒険しに出ていくよう促した為、人は宇宙についてより多くの知識を得続けていますが、このことはこの文明以前には無かったことです。





【解説】

感覚心の特徴は、自分自身の表面的な姿を最重要課題としています。それが証拠に、男女や年齢と問わず、鏡の前で髪の毛を整える等の動作は、皆真剣な面持ちで、端から見ると、その異常さにおかしくなる程です。その為、私は以前、敢えて努めて鏡で自分の顔を見ようとはしないようにした時もありました。これは、仏教で丸坊主にするのも、それらの執着を取り除く意味があるものと思われます。それ程に、各自の感覚心は自分の内面の精神レベルよりは、外見を重要視しているのです。

しかし、ひとたび、自分の周囲を見渡して見れば、私達は本来、実に美しい環境の下に生きていることが分かります。先日、写真を撮りに尾瀬を旅する機会を得ましたが、尾瀬ケ原や尾瀬沼等、自然環境がそのまま守られている地域には、驚くべき程の清純な水と空気、緑があり、多くの生き物を見ることが出来ました。おそらく、人間による汚染や収奪が行われなくなれば、自然は驚く程の美しさでこの地球を復元することでしょう。更に優れたことは、人間の活動から隔離された自然では全てが美しい姿を見せるということです。言い換えれば、宇宙の意識そのままの力が発揮できている場所は光景も美しいということです。

与えられたありのままの姿は、植物や動物、また各々の種によって異なりますし、その時期(ライフステージ)によって、つぼみの時期も枯れる時期もありますが、それぞれに趣きがあることも確かです。また、自然の中では季節に応じて目まぐるしい程の変化が起っており、同じ場所でも一ヵ月でその内容は大きく異なります。これら生命の息吹きを如何に感じるか、それらが遠い宇宙と実は密接に繋がっているということを如何に理解するかが大事だと思っています。自宅に帰って尾瀬で撮影した写真を見ながら、その時、見た光景を固定し再現できるデジタルカメラの威力を改めて評価した次第です。


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