ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第08課 段落312 [2008-07-07]

312 All faiths and religions were originally founded on what we call the occult or supernatural. For the supernatural is nothing more than the cause back of all creation - The consciousness that we call God. And while mystery has been created through lack of understanding, in reality there is no mystery. For that which can be known ceases to be a mystery. And the space brothers know that it can be known by using the right approach. They have proven this to some degree.

312 全ての信仰や宗教は元々はいわゆるオカルト(訳注:神秘的なもの)或いは超自然的なものに基礎を置いて来ました。しかし、そこでの超自然的なものとは全ての創造の背後にある因、私達が神と呼ぶ意識であることに過ぎません。そして理解の不足に起因して神秘が造り上げられる一方で、現実にはどこにも神秘はありません。何故なら、理解し得るものは神秘では無くなるからです。そして宇宙兄弟達は正しい取組によってそれが理解するようになることを知っています。彼らはこのことを自身で幾分か立証して来たからです。



【解説】

いずれの宗教においてもその発端となる教祖は皆、人並み外れた感受力を持っていました。また、多くの場合、いわゆる神秘体験、本科の学習者であれば意識からの印象を一時的に覚醒した体験を有するものと考えられます。これらの体験を通じて、身近に迫った災害から人々を守り、またひとり一人の悩みを解決する方策を伝授したいという気持から、各々の宗教活動が始まったものと思われます。

しかし、次第に年月が経過し、教団組織が大きくなるとこれら本来の目的よりも、如何にして組織を維持し、拡大して行くかの方が重要となって来るものです。その結果、信者から多額の寄付を集めるシステム作りや、他の団体を敵視することによる身内の団結等、いずれも世の中の商売(Business)と何ら変わらない様相を呈します。これについては、アダムスキー氏は組織を信じなかったこと、組織を作らなかったことは良く知られています。氏の活動を宗教に仕立てれば、一大宗教になったかも知れませんが、その後の弊害を知るアダムスキーは敢えてその道を選択しなかった訳です。

その理由の一つに本文で言う、これらの神秘体験は決して特異なものでなく、学習を続ければ、一般人でも容易に達成できるもので、決して神秘的なものではないからです。超能力は誰でも身につけられることを前提にすれば、既存の宗教についてももっと違ったアプローチが出来るはずです。各教祖が何を志向し、どのような内容で時々の人々を救おうとしていたかを学ぶこともその一つです。


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