ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第08課 段落304 [2008-06-25]

304 We are all conscious beings and the still small voice which is consciousness keeps impressing us that there is a better way than the mind has promoted. It is not some teacher or preacher, here and there, that can tell us how, but the consciousness that is within each, as it is within him. For it is THIS that has made man aware of a better life for centuries, and it will continue to do so until man's sense mind gives its dominion over to consciousness. And when this happens man will know, for he will never again sense any divisions or feel himself separated from the Creator.

304 私達は皆意識的な存在ですし、意識である小さくかすかな声が私達に心が押し進めているよりも良い方法があると印象づけ続けています。私達にそれがどのようにしてと教えられるのはここそこの教師や説教者ではありません。それは各自の内側にある意識であり、意識が人の内側にあるからです。何故なら、何世紀にわたって人により良い生活について気付かせて来たのはまさにこれなのです。そして意識は人間の感覚心が意識にその支配権を譲り渡すまで、その援助を続けることでしょう。そしてこのことが起る時、人は理解するのです。何故なら人はそれ以降、決して如何なる分け隔てを感じることは無く、創造主から自身を分離した存在として感じることもないからです。





【解説】

私の中に宇宙を貫く生命の根源である意識が存在することは身体の中の日々刻々の生命維持活動を見れば良く分かります。毎日の食事が肉体を養い、老廃物を排せつし、毎回の呼吸が体内細胞の働きに不可欠な酸素を取り入れる等、自我が寝入っている時もひたすら肉体はその存続の為、働いています。この作用を差配する大生命力は自我をはるかに超えた英知であることは、誰でも分かるはずです。

このように大多数の部分は意識と融合した存在なのですが、独りその肉体を差配すべき肝心の自我だけが、言わば迷いの中にあります。また、道を求める者も、既存の宗教に救いを求めますが多くの場合、そのグループの指導者の理解程度や組織維持の為に、やがて当初の輝きを失う事例も数多いものです。そうとすれば、所詮、頼れるのは自分の中で毎日のように実証して見せてくれるこの意識の存在に只只おすがりする他に方法はありません。

しかし、よく考えれば、心の反応も意識のささやきも、どちらも言葉で私達にメッセージを伝えることはありません。心にしてもとっさの判断(裁き)の積み重ねですし、単に「印象に従え」ということだけでは不十分かと思っています。受ける印象の質や内容を即座に判断することは難しいのですが、取りあえずは門戸を広げ、あらゆる印象を受け入れて、その内容に「好き嫌い」等の裁きや、「恥ずかしさ」等の自己保身等から来る要素の有無を見て、無ければ積極的に受け入れるということでは無いかと考えています。また、一方ではやって来る印象を自ら拒否している理由の中にそのような要素がある為に踏み込めないでいるかをチェックする必要があります。多くの場合、その対応が良かったか、過っていたかは直ぐに分かることでもあります。試行錯誤でも続けさえすれば、意外に早く本来の道には到達することはアダムスキー氏も言っているところです。


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