ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第08課 段落301 [2008-06-20]

301 If you cannot do this from nature's point of view, we have another method by which we can do better than we have in the past. As we are supposed to be Christians -let us use the teachings of Jesus and make them a part of our daily life. Or which ever Messiah you are following - practice their teachings so that they become habitual with you. Just as your associate's habits become a part of you. If you will do this you will be amazed at the changes in your life as the many unpleasant things are replaced by understanding. But you must make your sense mind determined to follow the guidance of The All-knowing Consciousness. Then you can say - "I the sense mind do nothing, but the consciousness does all things through me." If we can accomplish this, which we must do, the newness of life will manifest through us. And old age will be replaced by youth. And sickness will be replaced by health. And we will be on the way in making the Earth a Heaven.

301 もし貴方が自然に対する見解の違いからこのことが出来ない時は、これまで行って来た以上に良く出来るもう一つの方法があります。私達はクリスチャンと想定した場合、イエスの教えを用いて私達の日々の生活の一部にするのです。或いは如何なる救世主に貴方が従っているかを問わず、彼ら救世主の教えをそれらが貴方の習慣となる程に実践することです。貴方の仲間の癖が貴方の一部となるようにです。もし貴方がこのことを行うなら、貴方は自分の生活に起る変化に驚くことでしょう。多くの不愉快な事柄が理解に置き換わるからです。しかし、貴方は貴方の感覚心をその全智の意識の導きに従うことを決意させなければなりません。そうすれば、貴方はこう言うことができます。「私、感覚心が何をするのではない。意識が私を通じて全てのことを為さるのだ」と。もし、私達がこれを達成できれば、またそうすべきなのですが、生命の新しさは私達を通じて現れることでしょう。そして老齢は若さに置き換わることでしょう。そして病は健康に置き換わります。そして私達はこの地球を一つの天国に作り上げる道筋にあることでしょう。





【解説】

自然に対する姿勢には基本的に自然の中に人間を超えた英知の存在を感じる東洋的な見方と、自然を克服、征服する人間の価値に重きを置く西洋の考え方があるように思います。その典型例が庭園づくりに現れています。例えば樹木を幾何学的デザインに刈り込み、人間が造り出した造形美として見せるヨーロッパの庭園に対して、日本の著名な庭園は、いずれも自然の山なみや泉を配した中で、各々の木々が自ら造り出す自然の枝ぶりの中に、その場所が例え都会の真ん中にあっても、静かな大自然の中に憩う雰囲気を良しとしています。

もともと、この生命の科学は目に見えない要素に気付くことから始まっており、西洋の論理主義、実証主義とは相容れない側面も多いのかも知れません。むしろ、私達、日本人には理解しやすい内容ではないかと思っています。

さて、本文では著者は自然観察に没入することが出来にくい場合の別の方法として、これまで地球に来た偉大な教師の教えを自ら実践し、その過程に意識の助けを求めよと言っています。つまり、各自の心であれこれ悩むのではなく、インスピレーションに従って、教えを自分で実践検証しろと言っているのです。


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