ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第07課 段落276 [2008-05-08]

276 We have used the flower for everyone loves beautiful flowers. And if the love for it is equal to the love that one has for himself and he acknowledges its intelligence as firmly as he would of another person, with the same feeling, the flower will respond. And this can be observed if it is asked to turn its face from one side to the other. For it will follow your instructions as it follows the Sun. But you must remember at all times that you are consciously talking to an intelligent form.

276 私達は花を誰もが美しい花を愛することから用いて来ました。そしてもし、花に対する愛情が自分自身への愛情と等しければ、そして花の知性を他の人物に抱く感じと同じくらい確信し認めるなら、その花は応答することでしょう。そしてこのことは、片側からもう一方へ花の向きを変えるように求められば、そのように観察されるでしょう。その花はそれが太陽に従うように貴方の指図に従うようになるからです。しかし、常に憶えておかなければならないのは、貴方は何時も一つの知性ある形に話し掛けているということです。





【解説】

花や虫達と気持の交流が出来れば、この世は素晴らしい世界になることでしょう。私達はこの地球の上にあって、数多くの創造物に囲まれて暮らしています。中でも花や昆虫達は誰の周囲にも存在し、多くの方が普段から接していることでしょう。

しかし、私達はこれらを単にその形状や色彩、香りで判断し、評価しているだけで、その花が持つ生命力という本来の知性には気付いていません。花瓶に入れられた花のつぼみが、既にその根から切り離されているにも拘わらず、成長を続け、やがて大輪の花を咲かせることに驚いた方もあるのではと思います。それほど、花は例えその茎で切り離されてもその本来の使命を果たそうと精一杯の努力を続けるのです。おそらく同様の趣旨かと思いますが、坂村真民が次の詩を残しています。「何が一番いいか 花が一番いい 花のどこがいいか 信じて咲くのがいい。」 その花の知性と交流する手法が本文では述べられているのです。

植物との会話ということでは、米国の植物育種家、ルーサー・バーバンクも同様な実践をした方だと思われます。私もかつて米国Santa Rosa市にある記念館を訪ねたことがあります。詳しいことは憶えておりませんが、そこでルーサー・バーバンクがかつて使用していた作業用の机やメモの類いを見せてもらった際、記念館の係員がルーサー・バーバンクはあまり系統的な作業記録を残さなかったと言っていたことを記憶しています。彼が何千という植物の芽から的確に目的の品種を選んでいたことは今日まで多くの逸話が残っている通りです。これらの手法は彼のやり方が直感的であったとされて来ましたが、その背景には彼が自在に植物と会話をしていたからに他なりません。特段、記録をつけて、その系統が優れているか自分の心で考えなくても、的確な応えを植物自身から彼は得ていたということでしょう。身近にある植物や虫達を自分と同じ知性体であることを認めれば、それらと心を通じ合えると本文では言っているのです。


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