ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第06課 段落231 [2008-02-21]

231 Once the mind realizes its weakness that has caused much unpleasantness during its life, it should then be determined, even thought it is painful at the beginning, to lend itself to conscious guidance. These obstacles could arise when it tries to do this ; A thought of fear of losing its identity and authority that it has had during its domination even though it encountered many mistakes and uncertainties on its path of self-will. For lacking knowledge, it followed effects with no more knowledge than it had as it repeated mistakes, and alibied for them with a hope of bettering its position instead of correcting the mistakes.

231 ひとたび心がその生涯の間に多くの不愉快な体験をもたらした心の弱さを自覚したならば、心ははじめは苦痛と感じることがあっても、それ自身を意識の導きに委ねることを決心すべきなのです。これを為そうとする時にはこのような障害が発生することがあり得ます。つまり、例えその自己の意志の道筋において数多くの過ちや不安定状態に遭遇したとしてもその支配の間に得ていた心の独自性と権威を失うことへの不安感です。何故なら心は知識が不足している為に、それ自身と変わらぬ知識しかもたない諸結果物に追従し、過ちを繰り返しており、それら過ちを修正することに代えて自分の地位をより良くしたいと思ってアリバイ作りを行って来たからです。





【解説】

意識の指導に身を任せる、印象に従うことの難しさは学習を続ける中で次第に気付くようになります。従来は印象に鈍感であった為、何も気付くことは無かったのですが、次第に鋭敏になるにつれて、瞬時に印象に従うことの難しさを実感するようになります。言い換えればとっさの事態に何らの躊躇なく行動すればよいのですが、長年の習慣からまずどうすれば良いかを心に判断を仰ぐ為、時間が経過し、その結果、印象に沿った行動をとれず、機会を逸する事例に多く気付くようになります。つまり、瞬時の印象に自分の行動を合わせられない体験から、印象に素直に従った生活が如何に自然の流れに沿ったものであったかを後で思い知ることになります。

このように私達は日常、身の回りに起る出来事に対して絶えず自分の心に判断を委ねます。これを行えば得か損する危険性があるかなどです。心がその乏しい体験の中から結論を導くまでには、通常、途方も無い時間がかかりますし、その選んだ手法も従前の結果を再現するものとは断言できません。しかし、意識の流れに従えば結果は直ぐに現れ、次々に飛躍の道を歩むことができるというものです。


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