ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第05課 段落203 [2008-01-02]

203 One can be fairly sure of being right in what is received through consciousness providing the mind does not indulge in wild imagination or judgment. Even though the impressions may not be understood at the moment, for oftimes patience is required. But the fact that there is a revelation should give you the assurance that it will fit in someplace when the time is right.

203 人は心が乱れた想像や裁きに耽らないならば、意識を通じて受け取るものについては十分正しいものと確信して良いでしょう。その印象が例えその時理解できなくてもです。多くの場合、忍耐が必要なのです。しかし、啓示というものがあるという事実は、貴方にそれがいつか時が正しい時に何処かで当てはまるだろうという確信をもたらす筈です。







【解説】

個人的な体験として、わずかですが本文で言うような事例を経験したことがあります。いずれも昔のことなので寝ている間に見た夢であったのかは、詳しいことはよく覚えておりません。しかし、随分年月が経過した後に、「この光景は昔、夢で見たものそっくりだ」と思ったものです。

いずれも夢の中の印象は色彩を伴ったもので、一つは自動車の色(赤)、一つは電車の色(青緑)でした。簡単に内容を紹介すれば、自動車の例では当時、自室は前に庭があるだけの家でしたし、自動車を持つことなど思いも寄りませんでした。赤い自動車が置いてある筈もないのに何故か自室の前に赤い自動車が置いてある光景が見えたのです。また電車の例については、当時(おそらく私が中学・高校の頃かと思います)はチョコレート色の電車が普通の時代でしたが、ある駅の光景が見え、何故か見たこともない青緑色の電車が高架ホームに止まっているという光景でした。それぞれの印象を得た当時は全く現実とは離れた光景でした。しかし、それから年月が10年、20年を経過した後、不思議なことに結局、かつて夢で見た環境が自分の周囲に実現したという訳です。

以上の話はとるに足らない話ですが、個人的にはやって来る印象を大切に扱うという例にはなっています。いずれにせよ、やって来る印象を大切にし、その印象に従って、次々に行動できればしめたものかも知れません。よく調子の良い時には、次から次に仕事がはかどるものです。また、一方では悶々としていつまで経っても仕事が進まないという時もあります。その大きな違いは、「エゴの心で考えている」か「エゴを放棄して意識の指導に身を委ねているか」の違いにあるようです。各自がとことんエゴの心で取り組み、それでも一向に改善できないことを実体験した後、命までも喜捨する覚悟を持つようになれば、このような印象に従うことも容易になるということではないでしょうか。


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