ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第03課 段落127 [2007-08-22]

127 So let us go back to the word intelligence; We may look upon a man that from all appearances represents intelligence, yet when he expresses himself we realize our mistake. Yet when looking upon an unassuming, unimposing man we find from his expression that he is quite intelligent. So we do classify intelligence by expression or action.

127 そこで知性という言葉について立ち返ってみることにしましょう。私達はすべての外見要素から知性そのものであるような一人の人間を見かけたとします。しかし、彼が自分自身を表現した時、私達は自分達が間違っていたことを思い知ります。しかし一方、謙虚で出しゃばらない人間を見るとき、私達はこのような彼の表現からその者がまったく知性的な人物であることに気付きます。ですから、私達は表現や行動によって、実際、知性を分類しているのです。





【解説】

私達は知性なるものをどのようにして見極めればよいのかを本文では述べています。

これまでも自然観察の重要性を述べて来ましたが、その自然の中に息づいている「知性(英知)」については、単なる外見、外形上からでは見極められないと言っているのです。見極める為にはその者(物)が発する言葉の内容や動作、振舞いに内部に宿るものの本質が現れることから、これらを観察することで、その形有る物の本性を知ることが出来ると言っています。

とかく、私達は外見の姿形、言い換えれば目に見える「結果」から大きな影響を受けてしまい、見えない内側の存在要素を見落としがちです。自然観察の目的は形状や様式を細かく分類して記憶することではありません。その者(物)の内部にあって表現や行動を司っている知性に気付くことが出来るようになることが、その目的です。観察のポイントは対象物の内側になるということでしょう。日本にも昔から動植物を描いた絵画がありますが、円山応挙らの作品は、今にも虎が動き出しそうな臨場感が表現されています。観察の結果、外見だけでなく、その生物が示す動作の特徴を表わしたもので、画家が動物の動作についてもよく観察していたことが良く分かります。私達の観察眼を対象物の外見に留めず、内側の知性にまで深める必要性を本文では述べているのです。


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