ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第02課 段落056 [2007-05-08]

056 DISCIPLINE OF THE SENSES

How is one to discipline the senses? The sense of sight which guides itself by effects, as it is an effect of consciousness, seldom takes the time to study the cause back of what it sees. And by now if you have learned the first lesson well, there should be a desire to know the purpose for which each form has been created. And this can be revealed to the mind when an effect is viewed with the second sight, so to speak, or with the sight of consciousness. And as stated before single sighted.

056 諸感覚の訓練

諸感覚を訓練することとはどのようなことを言うのでしょう? 結果によって自身を導く視覚は、意識の結果の一つであるため、めったに自分が見るものの背後の因をじっくり学ぼうとはしません。そしてこれまで、もしあなたが第1課をよく学んでいたら、個々の形有るものが創造された目的を知りたいという願いが湧き起るはずです。そして、これが結果がいわゆる第二の視覚、言い換えれば意識の視覚で見られる時、心に明らかにされるのです。こうしてこれまで述べたように一つの視覚になるのです。



【解説】

ここではこれまで必要だとしてきた感覚の訓練をどのように行うべきかを具体的に述べています。

視覚は私達に大きな影響を及ぼしていますが、その視覚を訓練するには、まず、物を見てすぐに判断せずに、「時間をかけて」その物の背景にある要因や生まれた背景について知ろうと努力せよと言っています。

何よりも万物を支えている生きた宇宙の力(パワー)を感じたいと望むことが始まりです。しかし、そのことは決して現実(現象)を軽視せよというのではありません。このような従来から私達が親しんでいる結果の世界とこれから学ぼうとする因から降り注ぐ力ある印象を同時に感じ取るようにと言っているのです。

最も分かりやすい例としては、「まずい」「耳障りな」「くさい」などという感覚の拒絶反応を揚げることができます。これらは感覚の勝手な意見ですが、その内容は、その現象(結果)を出すに至った背景や経過などはお構いなしの感覚自体の利己的な意見です。しかし、例えこのような「まずい」「くさい」ものでも、人体にとって必須なものは数多いものです。人体の消化器臓器の内容物は皆、この類いの要素を持っています。表層的な感覚の評価は、そもそも人体自体における果たす役割とは全く関係が無いことが分ります。

何か感覚が反応した時、その判断を直ちには認めずに、一呼吸置いて、本当にその判断で正しいか、もっと本質的な要素に気付かなければならないのではないかと再考する必要もあるでしょう。感覚の反応を受け入れるのと同時に、関連した印象にも目を凝らし、耳を傾ける態度が重要です。そうする中で、やがては各々の感覚に意識的な部分が育成され、原因と結果が一体となって見聞きすることができるということです。


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