ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第02課 段落047 [2007-04-28]

047 Now we proceed to analyze the mind, which is made up of the senses. This sense mind is actually in the process of creation through its constant learning. It is like a sensitive plate which receives impressions from its observations of effects. And most of the time its conclusions are not in accord with natural law.

047 これからは、感覚から成り立っている心なるものを分析することにしましょう。この感覚の心は実際にはその絶えざる学習を通じて創造される過程にあります。それは結果の観察から印象を受ける感受性のある板のようなものです。そしてほとんどの場合、その出す結論は自然法則と調和していません。



【解説】

分析すべき第一は、自分の「心」であると言っています。刻々の「気分」は自らの「心」の反映です。この「心」なるものは、人を精神を通じてその行動に至るまで支配しています。ここでは、心を印象を感受する感光板、今日的に言えばデジカメのCCDに例えています。この感光板の出来、不出来は同じ対象を撮影したとしても、仕上がった写真に大きな差を与えます。その繊細さ(感度)等の性能が高まれば、例えかすかな光でも明瞭な画像を記録に残すことができることは我々の知るところです。

また、印象が心に達した時(写真の場合で言えば、光が感光面に到達した時)、感光板自体がその画像を好き嫌いによって判断し、場合によっては拒否したりすることが起っているとしています。それが証拠に、同じ対象を見てもその受ける印象は個個人によって大きく異なるのが普通です。同じ道端の花を見ても、詩人はその風にそよぐ小さな花びらからも春の喜びを感じるでしょうが、多くの人は気にも留めないで行き過ぎるかも知れません。印象に敏感になることは、そのまま大自然・創造主からの印象(メッセージ)に気付くことができることに繋がります。

このように外部の観察から印象を得る入口である各自の心を本来の道に沿って進歩させられるよう、日々教育する必要があると言っているのです。


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