ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落023 [2007-04-01]

023 We find no two human being that are alike. For the different talents with which each is endowed makes the difference. But like the keys on a piano, when one learns the tone of each and strikes it accordingly a beautiful harmonious melody is the result. The opposite can be brought forth when not understood.

023 私達はそっくりな2人の人間を見つけることはありません。何故なら各々に授けられた異なる才能が相違を作り出しているからです。しかし、ピアノの鍵盤のように、人が各々の音色を学び、適切にそれを打ち鳴らせば、結果として調和のあるメロディーが生まれます。理解されなければ、その反対が引き起こされ得るでしょう。



【解説】

この世の中に「私」という存在は一つしかありません。各々が異なる才能、役目を担っていると言っています。

その違いをピアノの鍵盤のように例えていますが、そもそもの自分に課せられた音色(表現)とはどのようなものかを良く知ることから始める必要があると言っています。人間の常として、他人の欠点は良く分かります。しかし、これが自分のこととなると途端に分からなくなるものです。そもそも、自分に適した才能を見い出す努力を行っているかも疑問です。自分自身を顧みることなく、成り行き上の日常生活を送っているのが私達です。

従って、先ずは自分の才能に気付くよう努力することから始めることになります。普段とは違う側面に明るくチャレンジして自分の可能性を確かめるのも良いかも知れません。本文に言うように、人類全体を通じて流れる調和したメロディーに貢献できるよう、各自が精進することしか、全体のレベル向上は無いのです。

一方、逆説的にはなりますが、個人的体験から、世の中には自分と似ている人もいるように思っています。以前に米国に行った時、日本の私の職場の関係者と顔形や喋り方、物腰等の雰囲気が似ている人物と出会ったことがあります。当然、米国人と日本人との違いはありましたが、雰囲気は大変似ていたことが印象的でした。その方とお話をしましたが、その応対や話し振りもそっくりなので、驚いた記憶があります。地球全体では、おそらく同じような思考パターンを持った人間は存外、多いのかも知れません。

自然界に目をやると、多くの生物がその種に独特な姿を見せる一方で、各個体は皆同じような顔形(かおかたち)をしているように思います。植物や昆虫等においては、各々の種で同じ顔形をしています。これを人間に当てはめたらどうなるでしょう。外見は皆一様なので容姿を気にする必要はなくなる一方、各自が他人をひきつける為には、内面深く魅力を持たなければならなくなることは確かです。バッタや蝶等においては種による容姿の統一化が図られており、その中で各々の個体はある意味、命がけで生命の継続に向けての営みに自分自身を捧げています。結果としては、植物の受粉を助け、他の動物に食物を授ける役割を果す等、地上に調和ある自然の営みをもたらしています。

人間その他の動物では顔形で本人が区別できるようになっています。それはそれで便利なことではありますが、反面、容姿に捕らわれると、各自の内面についての訓練や学習という面では疎かになりがちです。外見に囚われず、内面から湧き出る各自の才能にもっと鋭敏になって、その発展に尽すことが必要です。自然の中の存在である人間にとって、各自の本来の役割を果すことがその個体の存在理由であるからです。


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