ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落005 [2007-03-11]

005 As we cannot see the Creator the God of the Cosmos in person, we then must study Him through His creation. And this manifests in what we refer to as nature, for it is the embodiment of His Supreme Intelligence.

005 私達は創造主、宇宙の神を個人的人物として見ることはできない以上、私達は創造物を通じて創造主を研究する必要があります。そしてこの創造物は私達が自然と呼ぶものの中に現れているのです。何故なら自然こそが創造主の最高英知の体現であるからです。



【解説】

自然(nature)に体現されている創造主を知ることは、具体的にどのようなことを指すのでしょうか。

自分の体験で言えば、早春、舗装道路の割れ目から紫色のスミレがそっと咲いていたかと思えば、しばらくするとスミレの花は姿を消して、新たな草が勢い良く伸びている。道路脇の草地には一斉に同じ小さな花をつけた草が繁る。2週間も付近を通らないとあたりの景色はすっかり変わっています。それほど、草花の変化は大きいのです。春に咲き誇っていたポピーは5月の末には実をつけた後、枯れて行きます。そしてあたりは、より逞しい夏草の時期を迎えるのです。

これらの草花の移り変わりを見るにつけて、これらひとつひとつの草花に誰がどのように指令を出しているのか、不思議に思います。離れた場所であっても全てが調和して各々の生命を全うしている。実に不思議。

それらの草木は、人間の都合によって刈取られることも多いのですが、それでも何事も無かったかのように、残った切り株から芽を出して来ます。この粘り強さは人間も真似したいものです。

「創造物を通じて創造主を研究する」とはどういうことを意味するのでしょう。前述の続きで言えば、「自分自身を通じて創造主を研究する」ということになります。ある意味、それは研究材料が最も手近にあり、その反応も自ら良く分かり、一刻一刻の人体の生命活動を通じて、その創造主が元来、授けた意味や役割も含め、自分を理解できれば、最も効果的な研究ができる筈です。まして、最高英知の体現である人間としてダイヤモンドの原石磨きと同様に、自分自身を純粋にできれば、研究=実益、更には他者に対する貢献も大いに期待できるかも知れません。日常の観察から、自分自身を観察し、創造主を意識できるまで感性を高めることは、本人自身を高めことにも繋がることでしょう。


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