ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落003 [2007-03-04]

003 And in dealing with the religious or spiritual side, one should not be disturbed regardless of his faith. For the Creator whom we call God, created everything that is known and yet to be known. And to know the Father of all creation, one must study His creation and its purpose.

003 また、宗教や精神的な側面を取扱う際には、人は自身の信条がどのようなものであっても妨害を受けるべきではありません。何故なら、私達が神と呼ぶ創造主は、知られている、そして今後知られることとなるあらゆる物を創造したということ。そして、全ての創造物の父を知るために、人は父の創造物とその目的を研究しなければならないからです。



【解説】

自然界の創造物を探究することは人間にとっての義務でもあります。

この世界の鉱物、草木、動物等、全てが、創造主が無償で創造したと言っているのです。

人間はとかく、これらの「資源」を利用し、利用価値の無いもの、あるいは邪魔になるものは”雑草”や”害虫”として排除して来ました。

しかし、あらゆる創造物を知り、その目的を探究することが大事であると述べています。そこにはこれまで気付かなかった創り主の意図について知ることにも繋がる大事な一歩です。

ここで、何故、アダムスキーは「宗教や精神的な側面を取扱うについては、人は自身の信仰にかかわり無く妨害を受けるべきではありません」と言っているのでしょうか。それは、この種の探究は、あくまで自分1人で行う探究の作業であり、傍から「こうすれば良い」「こうしてはダメだ」等、指図されるべき事柄で無いことを意味しています。それは個人の内面から湧き起る印象や感性にも関わるもので、いわゆる頭脳で学習するような内容で無いことを指しているからです。自分で発見し、感得することで、自らの理解力や感性を高めることができるからなのです。

贈り主からのプレゼントを受け取る際に、受け手がその贈り物の価値を知り、贈り手の気持ちを理解することは最低限の礼儀であることは言うまでもありません。


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