141 Religion and so-called spiritual teachings have not, in most cases, brought true realization to the heart of humanity. Some of these organizations practice rituals and affirmations which produce a temporary intoxication during the performance of the rites but tend towards a tremendous "let down" after the service has been completed. Most of the individuals attending, upon returning to their worldly pursuits revert to the old ways where the survival of the fittest attitude takes over, and man continues to take advantage of his brother instead of being his brother's keeper. In the religious sanctuary the individual feels that he would help anyone according to their needs and where hate had been, there arises an emotion that is interpreted as love, but outside of the sanctuary these emotional influences change, which proves that they were nothing more or less than a form of hypnosis induced by the service that he attended.
141 宗教そしていわゆる精神主義的教えは、ほとんどの場合、人間の心の底に真の悟りをもたらしては来ませんでした。これらの組織のいくつかでは、その間だけの一時的な陶酔を作り出す儀式や宣誓を実施しますが、その礼拝が完了した後は、とてつもない「落ち込み」をもたらす傾向があります。出席している個々人のほとんどは、それぞれの世俗的追求の場に戻るや、適者生存の原理が支配する昔ながらの方式に復帰してしまい、人は自分の兄弟の後見人になる代わりに自分の兄弟を利用し続けるのです。宗教的な聖域の中では各自は必要があれば誰をも助けようと感じ、憎しみがあった所でも愛と解釈される感情が湧き起こるのですが、その聖域の外側ではこれら感情の影響は変わってしまい、自分が出席した礼拝によって誘引された催眠の形態以上の何物でもなかったことを立証するのです。
【解説】
よく海外諸国では、人は宗教には忠実で、信仰する神の前では敬虔な信者である一方、教会やモスクの外に出ると、他者との厳しい商売に明け暮れる姿を見るものです。つまり自らの神に対する心持は真剣そのものなのですが、他者や商売相手、生活のなりわいの中にあっては、如何に相手から利益を得るかが第一となるのが普通なのです。
その為、人々は互いを信じることが出来なくなり、犯した罪は全て宗教が中和して呉れるということかも知れません。
しかし、ここでは私達が真に成長して行く為には、宗教儀式に頼ってはダメだと説いているのです。一人一人の日常の生き方が宇宙本来の波動に沿っていなければならないとしており、人によらず法(哲学原理)によって生きよとするかの仏陀の教えと近いものとなっています。
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