ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第03章 段落028 [2020-05-21]


THE WORD
028 In the beginning there was but the Word: no mortal mind can know the Word in full for it contains all knowledge and all Power, and only that which is Itself the Word can know or understand potentially. But through a mighty action the Word was imaged into primal form; in form so fine that only Cause could know its attributes or view its being. It incarnated through the whole of substance and impregnated all matter with Its presence till in the place of a tremendous void there grew the second or the form-creation.
大いなる言葉
028 原初は大いなる言葉のみがありました。如何なる人の心もその大いなる言葉を完全に知ることは出来ません。何故なら、それは全ての知識と全ての力を含んでいるからであり、大いなる言葉自身がそれを知り、理解し得るからです。しかし、ある壮大な行為を通じて、大いなる言葉は最初の形態に描かれました。それはあまりに繊細で、因のみがその性質を知り、あるいはその存在を観ることが出来ました。物質全ての中にその存在が宿り、そしてついには巨大な空虚の場所に第2の創造、即ち形あるものの創造が生じました。




【解説】
本文は聖書のヨハネ福音書の冒頭を引用しているものですが、その「言葉」についての説明内容には、日本神道で言う「言霊(ことだま)」と似た意味合いがあることに驚かされます。
平たく言えば、私達が発する言葉の一つ一つが属する想念衝動の中には創造的要素があり、物事を現実世界にもたらす大きな作用を有しているということでしょう。それ故、自分が実現して欲しくない事柄については、わずかの思いすら心に入れてはならないし、ましてや言葉として発することは厳にはばからねばならないのです。
私達は自ら発する言葉、自ら文字として表現することについては、それがその後自分の周囲に実現することを十分に自覚する必要があるのです。
また一方、世界は圧倒的に創造主による言葉が全てを仕切っている訳で、私達にとってはそれら創造主の言葉(想念波)に耳を傾け、共鳴することが最優先事項となるのです。


第03章 段落027 [2020-05-20] <<  |  >> 第03章 段落029 [2020-05-22]