ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 3章 段落088 [2018-12-28]


088
Thinking deeply about all this, I asked myself, "Suppose I had sight so great that I could see television pictures without the aid of a television set. Suppose my hearing was so keen I could hear the beautiful music traveling through space from station to station without using a mechanical device. Would not my sight and hearing be developed into the fourth dimension?" I then turned my attention to the senses of taste and smell. Suppose I were able to taste the apple before it matured; or detect the fragrance of the flower before it blossomed; would I not have the senses of a superhuman.
088 これら全てのことを深く考えた後、私は以下の事柄を自分に問いかけました。「テレビの助けを借りずにテレビ映像を見ることが出来る程の大いなる視覚を持っていたとしたら。」「私の聴覚があまりに鋭敏なので機械装置を用いることなく放送局から放送局の間の空間を伝わる美しい音楽を聞くことが出来たとしたら。私の視覚や聴覚は四次元の中にまで発達出来ないであろうか?」次いで、私は自分の注意を味覚と嗅覚に転じました。私がりんごが未だ熟する前にそのリンゴの味を味わうことが出来たとしたら、或いは花が咲く前にその花の香りを嗅ぐことが出来たとしたら、私は超人の感覚を持つことになりはしないかと。




【解説】
私達が想念・印象に親しくなり、それらへの共鳴が進むにつれて、私達の既存の四感覚も次第に進化を遂げ、感覚自体でもそれらの情報を解釈できるようになるということでしょう。
多くの能力者が未来を予言したり、芸術家がインスピレーションを得て、作品が生まれるのも実際にはこうした既存の感覚の進化と関連しているように思われます。
言葉や文字にならない想念・印象レベルの情報から、具体的なイメージを得る為にも私達の既存の四感覚自体を訓練し、大きな役割を果たすことが出来る訳です。このことから分かるように、私達の既存の四感覚は絶えず監視し、訓練を必要とする一方で、その精進の先には、大いなる成果が待っているということでしょう。


ご連絡 [2018-12-28] <<  |  >> 第1部 3章 段落089 [2019-01-07]