374 But there will never be an instrument made that will reveal all of the Cosmos to man. Consciousness coupled with man's mind is the only way that man will learn about the cosmic whole. For now the instruments that have been used should cause the mind to have confidence, faith and trust in conscious guidance. The mind should have learned through past observations and experiences that that which at one time seemed nonexistent became a reality. For anything that is revealed by conscious impressions is in existence some where. So now the mind should be willing to be guided by consciousness instead of itself as in the past. And accept the things given by Cosmic Consciousness as a reality. For this is the only way that the sense mind can find its other half and become a part of the whole of the Cosmos. Jesus said, blessed are those who do not see yet believe. For the physical eyes cannot see the distances of the Cosmos, but the conscious eyes can.
374 しかし、大宇宙の全てを人間に明らかにする装置は作られることはないでしょう。人間の心と対になった意識だけが唯一、人間が宇宙全体を学ぶ方法なのです。今やこれまで用いられて来た諸装置は心に自信や意識の導きに対する信仰や信頼を持たせている筈です。心は過去の観察や体験を通じて一時期存在しないように見えたものが、現実のものとなることを学んで来た筈です。何故なら意識の印象によって明かされるものは何処かに存在するからです。ですから、今や心はこれまでの自分自信による代わりに意識に喜んで導かれるべきなのです。そして宇宙意識から与えられた物事を現実のものとして受け入れることです。何故ならこれが感覚心がもう一つの自分を見つけ、宇宙全体の一部になる唯一の方法だからです。イエスは言いました、見ないで信じる者は幸いであると。肉体の目は大宇宙の膨大は広がりを見ることは出来ませんが、意識の目はそれが出来るからです。
【解説】
本講座では繰り返し「意識」の持つ大きな役割について説かれています。やはりこの「意識」を各自がどのように捉え、日常的に接しているかがポイントと言えるのだと思います。
ここで強調したいのは、「意識・意識」と"言葉"で叫んだとしても、各自が何らかの具体的なイメージを掴んでいなければ、単なるお題目に終わってしまいます。私達はここで改めて自分が理解している「意識」について、各自整理して置く必要があるということでしょう。
現時点で私にとって「意識」とは、何か自分が(精神的に)移動出来る空間的拡がりであり、自分の関心が向かうところに自由に移動出来る自在な状態のように感じています。実はその心境は遥か宇宙の創造主にも繋がっているものであり、自分の抱く想念も瞬時に創造主に感知されるという、直結的な媒体のように思っています。
即ち、私達の想いはその想念が湧き上がった瞬間にすぐに実現に向けて何処かで準備が始まってしまうことになるのです。
「意識」はこのような心境とも言える訳で、それ故、私達は自身の抱く想念を絶えず浄化すると同時に、良質な想念・印象を感受出来るよう自らを整える必要があるのです。
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