206 In the case of an uncorrected mistake against another, a mystery is created that may never be solved. And if it is done after a lapse of time the feeling will never be the same again. So there is a loss through the neglect of correction. And yet the correction even under these conditions is very important in order to carry on. For somewhere along the line the lost words or impressions will repeat themselves, even if for another reason, and he who has the knowledge can use these words to fill in the gap. It is no different than a window pane that will fit into a number of places.
206 ひとつの修正されない過ちに対して更に修正されない過ちが起る場合には、決して解決しない神秘が造り出されてしまいます。そしてもし、時間経過の後に為される場合には、その感じはもはや同じにはなりません。ですから修正を無視したことで損失が生まれるのです。しかもこれらの状況の中であっても修正はめげずに続けて行く為にはとても重要です。何故なら、その線に沿った何処かでその失った言葉や印象類は、他の理由からであっても再現するでしょうし、その知識をもつ者はそのすき間を埋める為これらの言葉を用いることができるからです。それは数多くの場所に当てはまる窓ガラスと何ら変わるものではありません。
【解説】
本文を読んでいて、何故著者は窓ガラスを私達に求められる修正の象徴として表現しているのかを考えてしまいます。
本文では具体的な記述はありません。しかし、その参考とすべき好例として、私は今日パソコンをお使いの方はご存知のようにWindows10の開始画面における窓から光が差し込む状況をご紹介したいと思います。パソコン画面では暗闇の部屋に窓から外の光が差し込んでいるという光景です。いわばその窓が自分自身の暗闇を外の光で照らし、迷いを取り除くような機能として描かれているように思うのです。
私達は暗闇の中で多くの過ちや苦悩にもがいていました。それらは所詮、私達の誤りや迷いに由来するのですが、その解決策として窓を設けることで、外の光溢れる世界と繋がることが可能となる訳です。一つ一つの誤りに対して素直に改めて行けば、暗い心の部屋に外部の光が通り、もはや迷うことがないよう、窓が付けられると表現されているように思うのです。
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