122 Let us assume that, the first man on earth did not have a teacher to guide him along the path of life, so he had to use nature as a teacher. i.e. As he listened to the winds passing through the trees with their varying types of leaves, he noticed that each produced a different sound. And as he listened to the birds and the rushing waters of the brooks and rivers, and other sounds that nature produces, he desired to reproduce the sounds. So he made a flute type whistle and later other instruments. Man innately desires to become as his Creator. So nature has been his greatest teacher.
122 ここで地球上の最初の人間が人生の道程を導く教師を持たず、自然を教師とせざるを得なかったと仮定しましょう。即ち彼は様々な形の葉を持つ木々の間を通り過ぎる風に耳を傾ける時、各々が異なる音を発することに気付きました。そして鳥達や渓流や川の水の流れやその他、自然が造り出す音に耳を傾ける時、彼はそれらの音を再現したいと思ったものです。そこで彼はフルートの形式の笛、そして後には他の楽器を作ったのです。人間は生来、自分を創造した創造主のようになりたいと願っているのです。ですから自然は彼の最も偉大なる教師であったのです。
【解説】
実は本項と類似したことが私達の置かれた状況とも言えるのではないでしょうか。アダムスキー氏や他惑星からの支援者達が私達の近くに居る訳ではなく、私達は独りで自らの道を求めて進んで行く状況にあるからです。
その中で本項は、身近な自然に注目せよ、自然から学べと説いているように思います。丁度、原始の時代に人間が初めて笛を作ったように、自然を観察し真似ることで成長して来たということでしょう。
同様に、現代の私達の教師は常に身近にある自然であると言えます。先日もあるアジアの地で休日、寺巡りをしていた所、幹の所々から房(ふさ)のように束ねたたくさんの実を出すヤシの木と出会いました。残念ながら名前は分かりません。気が付くと木の上の方にはそれらが熟した大量の実が稔っています。数珠や房の形といい、お寺に相応しい植物ではと感心した次第です。おそらくは何らかの薬効成分も含んでいるものと思われます。
私達の身の回りには、まだまだ初めて見る自然の不思議がいっぱいあります。それら学習、観察の機会を通じて、私達は自然から様々な事柄を学ぶことが出来ますし、その心境になれば私達は自然の一員となり、孤独ということはありません。多くの植物画の作家がそうであるように、自然観察の中には楽しみがいっぱい詰まっているということでもあるのです。
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