ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第03課 段落095 [2017-01-23]


095 i.e. An electric socket is made to hold a light bulb and not for a finger to be placed in it when the current is on. Even when it is not, should one be standing in moisture, he can receive a shock. If one gets hurt or has an unpleasant experience by the misuse of the law, he cannot blame the man that is willingly giving him the power. He can only blame himself, either for ignorance of the law, or aggression on his part.
095 即ち、電球のソケットは電球を固定する為に作られたもので、電流が流れている時に指を入れる為のものではありません。指を入れなくても、湿った場所に立って(ソケットを触った)場合にはショックを受けるかも知れません。仮に法則の誤用によって痛い目に逢ったり、不愉快な体験をしたとしても、電力を喜んで送っている係員を責めることは出来ません。自分自身が法則について無知であったか、自分の無謀な行為について自分自身を責めるべきなのです。




【解説】
法則を認識した以上、私達はその法則を本来の正しい使い方に留意しなければなりません。本項の電球のソケットのたとえのように無謀な行為は自ら痛手を負うことでその者自身の体験になるのですが、本来は必要のない経験である筈です。
重要な点は良くも悪くも「法則性」は大きな力を発揮しており、この物事を実現に向かって推し進める力を有しているということです。これについては古来から「畏れ多い」という表現が日本神道にありますが、まさにその通りの対応、心境が必要です。
具体的には各自の心が抱く想念、私達自身が受け入れる想念が物事を実現させてしまう力を持っていることだと考えます。実はこの学習講座を進めて行くにつれて、私達が直接、創造主と様々な経路で結びつきが強く、また大きくなる結果、自分が願うことが実現するようになることに皆様気付かれるのではないかと思っています。
つまり、学習を続けるにつれて、私達の日頃の想念が周囲に与える影響がまずます大きくなるという訳で、実は学習を進めるについてこれまで以上に私達は自分を律することが求められることになるというものです。


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